園長先生のつぶやき

心に思うこと、その時感じたことをそのまま綴る、園長の徒然日記です。

2022年05月19日

5月8日は母の日でした。一般的に母の日はお母さんに感謝の気持ちを伝える日ですが、『母』といえば、ふと思い出すことがあります。

私が小学2年生頃の事だったと思います。その日は遠足でお弁当におやつに大型バスでみんなでお出かけ…ワクワクがいっぱいでした。ところが、朝熱があり欠席することになってしまいました。微熱だったものの、母からは「微熱でも人にうつしてしまったら大変だし、これから熱が万が一上がったら先生や皆に迷惑をかけてしまうからね。」と言われ泣く泣く欠席しました。母が言うように、行きたい気持ちがあってもそのように周りへの配慮が必要だったはずでしたが、当時の私はまだ自分のことしか考えられず「このくらいなら行けたんじゃないか」と悔しくて残念でなりませんでした。

しかし母がお昼近くになると「今頃みんなきっとお弁当食べている頃じゃないかな。今日は外でお弁当を食べよう♪」と遠足を欠席したにもかかわらず、お弁当を作ってくれていたのです。私が横になっている間に、前日張り切って用意したおやつも入ったリュックにお弁当を入れてくれていて、家の庭にシートを広げて母と二人でお弁当を食べました。しかもパジャマのままで!母とおやつ交換もして、一緒におやつも食べました。皆との遠足には行けなかったものの、庭でパジャマのままレジャーシートを広げ母とお弁当やおやつを食べたことがすごく嬉しくて、今でも鮮明に覚えています。むしろパジャマで外にでてお弁当を食べるなんて、普段では絶対にないこと。それがワクワクして小学校の遠足の中ではこのパジャマ遠足がナンバー1の思い出になりました。

何か理由をつけてごねても、「熱があるから行けません」「自分の事だけでなく周りへの迷惑も想像しなさい」という『ダメなものはダメ』と一貫性を持ちながらも、遠足に行けなかった沈んだ我が子の想いをくみ取り、別な形で私の想いを救ってくれた母。この時は子どもを想うそんな母親の深い愛情に気づけませんでしたが、大人になって自分がお母さんになったらこんなふうに子どもの心を救える親になりたいと思う、私にとっては大きな意味のある一日になりました。

 

昨年度の誕生日会の保護者向け講話の際にもふれましたが、『日本一のお母さん』というタイトルで小学生を対象にした作文の応募がありました。平成の時代の事なのでもうだいぶ前になりますが、応募作文を分類すると、子どもが望む理想とするお母さん像は次の5つに分類されたそうです。

1,働き者のお母さん→洗濯したり掃除をしたりいつも生き生きと働いているお母さん

2,スキンシップをとるお母さん→量よりも質

3,ユーモアがあり面白いお母さん→それだけで家庭を明るくしてくれるお母さん

4,何かの役に立ちたいと思っているお母さん→地域の清掃の奉仕活動や献血、学校ボランティアなど、自分や家族の事ではなく、周りのため人のために自分にできるちょっとした事をしているお母さん

5,型破りなお母さん→一般的、常識的な型や方法にはまらず、自由な発想を持つお母さん

こんなお母さんを子ども達は尊敬し誇りに思っているようでした。

これを知ってからは、先生としてもこんな先生だったら、きっと子ども達に近い存在の先生になれるのではないかと思い保育にあたってきました。そして自分自身も母親になり、こんなおおらかなお母さんでありたいなーと想いながら子育てをしてきました。

 

私達は大人になり親になり、まだまだ自分自身も未熟であるのに、子育てもこなさなければなりません。一生懸命子どもを育てようと思えば思うほどなかなかうまくまわらないこともあります。親がこんな風に育ってほしいと願うように、子どもにだってこんなお母さんだったらいいのにという願望がきっとそのうち芽生えてくるでしょう。

『人生に必要な知恵は全て幼稚園の砂場で学んだ』という有名な本がありますが、その著者ロバート・フルガムさんの言葉の中に、「子どもが自分の話を聞かないと気にするより、子どもはいつもあなたを見ているということを気にするように」 という言葉があります。

何十年もたった今でも母との遠足エピソードを覚えている私には、母のこの時のあたたかい子どもへの想いが息づいています。

子どもにうつる私達はどんな姿でしょう。そして将来子ども達が大きくなった時に記憶に残る母親とはどんな姿でしょう。

子どもはいつも私達を見ています。

子どもが大きくなった時に誇れる親(大人)であるために、まずは私達自身がどうあればよいか自分を見つめる時間も必要かもしれませんね。

 

 

園長    伊勢 千春

 

© めるへんの森幼稚園. All Rights Reserved.