園長先生のつぶやき

心に思うこと、その時感じたことをそのまま綴る、園長の徒然日記です。

2021年12月17日

二学期も終わりを迎え、今年も一年が終わろうとしています。

先日こんなことがありました。

帰りのバスを待つ間の出来事でした。その日は雨で子ども達はオーニングの下のベンチに座りバスを待っていました。ふと見ると、年長O君が目を真っ赤にして何度も涙をぬぐいながら静かに泣いていました。声をかけると、隣のT君に嫌なことを言われたとのこと。内容を聞いてみると、自分は何もしていないのにT君が「なんで水かけるの?!」と怒ってきたということでした。T君にも話を聞くと「だって僕の帽子にO君が水をかけてきたから「やめて」といっただけだよ」と。するとO君が泣きながら「ぼくは水なんかかけてないよ」それを聞いてT君が「かけたでしょ。どうしてO君うそつくの?」「嘘なんかついていないよ」という、やったやらないのやりとりが続きました。その時すでに二人の乗るバスが到着していました。二人ともひかない様子だったので本当のところはどうだったのか確認できないまま、「とにかくO君は水をかけていないといっているし、T君は水をかけられたといっていて、どっちが本当か先生も見ていなかったからわからないけれど、どちらかの勘違いということもあるかもしれないよね。とにかく二人とも同じ年長の友達同士なんだからケンカしないでもう仲直りしてバスに乗って」と声を掛けました。そして二人ともお互いに「ごめんね」「いいよ」を言い合い、待たせていたバスに乗り込みました。

お互いが謝ってお互いが「いいよ」という形でバタバタとバスに乗せてしまいましたが、きちんとした解決ができぬまま乗せてしまったことに私自身とてもモヤモヤしていました。きっと二人の男児も同じだったと思います。そこで、バス添乗の体育のA先生に手短に今あった出来事と、こんな援助しかできなかったからバスの中で様子を見てほしいと伝えました。

そしてその後、バスの中でA先生が二人と話をしてくれたら、内容が明らかになったということでした。

雨が降る中バス待ちのところまできたT君のベレー帽には雨のしずくがたくさんついていた。それに気づいたO君がT君の帽子の雨粒を何も言わずそっとはらってくれたらしいのです。しかしT君は急にO君が自分のベレー帽を触ってきたので「やめて」と言いながら帽子に手を当てると、帽子がぬれていた。そこでT君はO君に水をかけられたと思い込んでしまい「どうして水かけるの?!」と。そこから先は上記のような流れになってしまったということでした。対応してくれたA先生も、私から聞いていたそれまでのいきさつと、バスの中で二人から聞いた話でようやく状況が把握できたということでした。

本当はT君が思うような意地悪や嫌なことをされたのではなく、むしろO君の優しさがT君に向けられていたのです。それが分かり、バスの中でA先生がT君とO君に実はこうだったんだね…と説明してくれました。それを聞いてT君が「そうだったんだ…O君ごめんね。」と勘違いしてしまったことを自ら伝えられ、ちゃんと仲直りができたということでした。

バスの乗降時は後続車の事を考え、できるだけ道路にバスを停めて置く時間を短くしたいところですが、A先生が「少しだけ時間をくださいっ!」と運転手さんにお願いをし、二人のバス停でこの出来事を保護者に簡単に説明してくれたということでした。

この話を聞いて私はふたつの喜びを感じました。

一つ目は、O君とT君の誤解がきちんと解けて二人が心から納得のいく仲直りをしてすっきりした気持ちで帰れたこと。そして二つ目はバスに乗る前のこの事情を聞いたA先生が私の想いを引き継いで二人に丁寧に寄り添ってくれたことでした。

きっとあのまま帰宅していたら、T君は『帽子を濡らされO君に嫌なことをされた』という気持ちだっただろうし、O君も『水はかけていないし、むしろ濡れていた帽子の雨粒を払ってあげただけで嘘なんてついていないのに』と、二人とも嫌な気持ちのままだっただろうと思います。しかし、バスが来たことにより何だかわけがわからないまま何も解決していないのにとりあえず形だけのごめんねを言わされ、形だけの仲直りをさせられて終わってしまっていたのです。もし、帰宅後にお互いが自分の気持ちや出来事だけをそのまま家で話していたら、お母さんは子どもの言葉をそのまま真実として受け取っていたかもしれません。

これまで幼児教育の現場に長く携わってきましたが、今回のように、幼稚園生活において友だちに嫌なことをしてやろう、意地悪してやろうと悪意を持って相手に接するという場面は、ほぼ『ない』に等しいのです。しかし片方の言い分だけを聞いてしまうと、今回のように本当の姿が見えないまま嫌なことをされたと思ってしまう可能性も高いのです。幼稚園で起こるトラブルやいざこざのほとんどは、このような子ども達の言葉足らずや相手の想いをまだくみ取れないことが原因なのです。そして、そんな時しっかり最後まで寄り添える時もあれば、様々な事情が重なり、なかなかそういかない時もあるのです。

その場面だけの切り取りや一方の言葉だけを切り取って物事を見ていくと、なかなか真実にはたどり着けないものです。今回の件でそれを改めて実感したところです。

 

この二学期、一人一人がこのような小さな経験をたくさん積み重ね、大きな心の成長を遂げたことと思います。今回のように誤解から嫌な気持ちを経験したり逆に誤解が解けた時に心から喜び合えたりするようなそんな実体験を積み重ねていくことが、相手を知ることにもなり相手をいたわることにもつながっていくのでしょう。そんな実体験が幼児期には必要であり今後の人間形成につながる大事に対応していきたい部分でもあります。

私たち教師もまた、そんな場面に遭遇した際にはしっかり子ども達に向き合い丁寧な想いの汲み取りをしていきたいと改めて思った二学期の最後でした。

今年も一年、教育活動にご理解とご協力をいただきましてありがとうございました。

また新年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

園長     伊勢 千春

 

© めるへんの森幼稚園. All Rights Reserved.