園長先生のつぶやき

心に思うこと、その時感じたことをそのまま綴る、園長の徒然日記です。

2018年01月23日

先週から劇あそび旬間に入っており、今週までの二週間、とことん想像の世界であそび込むという活動を行なっています。お遊戯会などで行なわれる【劇】とは違い、台本がなければ主役もなく、子ども達は自分がなりたい役になっていいということになっています。配役の人数調整なども全く必要ないので、子どもが自分の意志でなりたいものになりきってとことんあそべる環境が作られます。ですからみんなが主役!それが劇あそびです。

クラスのみんなが大好きな絵本のお話が土台になるクラスもあれば、2冊の絵本のお話が合体することもあったり、絵本の話は全くモチーフにならずに今クラスで流行っている、例えばお店屋さんごっこやレストランごっこ、お母さんごっこのようなものにストーリー性を持たせ発展したお話の世界であそんでいるクラスもあったり…。台本がないのでお話を好きに進めることができるし、いろいろなアイディアが出せる、そして何より失敗や間違いなんていうものがない!だからこども達にとっては目がキラキラ☆場合によってはキラキラを通り越して目をギラギラ輝かせながらあそべるほど楽しい時間です。しかし担任にとってはかなり苦労の連続…。どういう展開になるか、誰かが発したひとことでお話の方向性がガラッと変わってしまうこともあるため、その時々で何をチョイスするかどのアイディアを膨らませていくか、先生達にとっては悩みもつきないのが劇あそびです(笑)。

こんなふうに予測不能な状況であそびが進んでいくため発表会という【形】は作れません。誰が見てもどんな役をやっているのかすぐにわかるような衣装や、見ている大人が喜ぶようなかわいらしい衣装なども身に着けません。ですが、子ども達があそびの中で必要と思うもの、またはこんなものがあったらもっとあそびがたのしくなるかも!と考えたりひらめいたりした小道具やお面は子ども達がその場で作ったり自発的に家で作って持ってきたりしています。見かけの立派さや派手さはないけれど、子ども達が自分でアイディアを出したり必要なものを考えたりすることのできる環境。思いつくことを実際次々あそびの中に取り入れていくことのできる環境。失敗や間違いと思うことがないから自由な発想を楽しめる環境。そんな劇あそびはまさに見えない部分にこだわる保育そのものだと思っています。

 

話は劇あそびからそれますが、今年度年長組でお米を育てる活動を行ないました。田んぼを作るところから数カ月かけて育てました。みんなで作った田んぼの他に、ペットボトル苗もひとりひとり育てて夏休みには家に持ち帰りお世話もしました。ところが秋の収穫の時期、お米が本当にできているかかなり心配なほど実がスカスカなものが多く、子ども達も残念な思いを味わってしまうかも…と懸念していました。そんな時、収穫したら年長組でお米パーティーを企画しているという話が入りました。長い間かけてお世話してきたお米の収穫を喜んでの活動で子ども達の頑張りを形にしたいという担任達の想いだったのだと思います。しかし、お米パーティ―をするほどの収穫量は明らかにない状況だったので、そこをどのように考えているのか聞いてみると、収穫したものと購入したものを合わせてパーティーをする計画とのことでした。確かにこんなに長い期間をかけて育ててきたし、お米パーティーという収穫を喜ぶ活動につなげるのは悪いことではありません。教育活動をする基本は子ども達が楽しむことが一番!と私自身も思っていますから…。しかし、自然の中で作物を育てるということは、どんなにお世話しても台風や長雨など天候の影響を受けて上手く育たないこともあるし、それが現実だということを知らせ、だからこそみんなが普段食べているお米が収穫できるのはそう簡単なことではないということや、だからこそ食べ物を粗末にしてはいけないということなどに気づいてもらう機会になってもいいのではないかと思いました。

いつもなら野菜を育て収獲したらみんなで調理して美味しくいただくという活動に結びつけていますが、時にそううまくいかないことだってあるということを認識させる、そんな教育も年長くらいの年齢になれば大切なのではないかと思いました。だから、もう一度先生達にはその部分をどんなふうに活動につなげていったらいいか考えてもらいました。(この時の私はのちに先生達から「あの時の千春先生にはお米の神様が宿っていたよね☆」と言われるのでした(笑)。)

そして実際収獲してみると食べられるお米の量は一クラス茶わん一杯分くらいしかとれず、お米パーティーをするなら購入する米がほとんどになることを考え、お米パーティーは見送ったようでした。米作りに詳しい方の話では、今回田んぼを作った時の肥料の量が多すぎたこと、夏に30日以上連続した長雨の影響などが大きい要因となってお米が上手く育たなかったのではないかということでした。年長の各クラスではどうしてお米が上手く育たなかったのか、それならどうしたらよかったのかなどお米会議をしていたようです。

子ども達の手で育て、自分達で収獲した作物で調理をし食すという工程は大事。収穫した野菜でスープを作ったり野菜パンケーキを作ってパーティーをしたり、楽しみながら食べたことのない野菜や嫌いな野菜も身近に感じ口にしてみることができるのはとっても良いことだと思います。だからめるへんでは食育にも力を入れています。これらは『形に表すことのできた保育』だと思います。しかし、今回のお米のようにみんなで楽しくお米パーティーをするという形にならない時だってある。でもなぜ上手く育たなかったのかを考えたり、作物を作る方々の苦労を想像したり、だからこそ大事にいただくというような本当に大事な心育ての部分にこだわった保育をしていきたい、というのが根底にあります。そこはわかりやすい形として見えない部分ですが、大きく心が育つ、心育てが主役の保育になるのではないかと思う部分です。年長児にとってはあんなに長い期間たずさわってきたお米だったのに少しかわいそうだったなーという思いはありながら…。

子ども達はお米作りを始めた当初「おにぎり100個くらいできるかも♡」と期待を膨らませていたようでした。だから一口ずつしか食べられない量だったことを知りがっかりするだろうなと担任達も思っていたようでした。しかしその一口はとびっきりの笑顔の一口になり、たった一口でも自分たちでここまで育てたお米の味をじっくりかみしめ、食べられることの喜びの方が上回っていた様子だったと聞きました。

そして、脱穀やもみすりなども子ども達に体験させ、最後に残った稲わらをお正月前だったこともあり門松やしめ縄作りという活動につなげていた年長でした。さすが先生達☆稲わらも無駄にせずこうして秋の収穫からお正月までつなげた活動に子ども達も充実感があったようでした。お米パーティーという楽しい活動にはつなげられませんでしたが、大事なことを学べた米作り活動になったように思います。

日々の保育において、その時の状況で今何を子ども達に伝えたいか、本当に大事な部分はなにかを私達自身試行錯誤し、こうして常に追求しながら子ども達の『形には見えない部分』にこだわる保育を今後も大切にしていきたいということを今回劇あそびや米作りから改めて感じました。

子どもと一緒に学び続ける、そんな幼稚園でこれからもありたいです。

 

 

園長    伊勢 千春

 

 

© めるへんの森幼稚園. All Rights Reserved.