園長先生のつぶやき

心に思うこと、その時感じたことをそのまま綴る、園長の徒然日記です。

2025年04月24日

新年度が始まりました。

園に隣接する風の子公園の見事な満開の桜も葉桜になり、少々はかなげではありますが、ちらちらと園庭に舞い落ちる桜の花びらを集めて喜んでいる子や「お母さんにお土産にする♡」と言ってウキウキした様子の子も見受けられます。今度は新緑が美しい季節になり、これもまたこれからの季節ならではの楽しみ方や感じ方ができると思うと、子ども達を連れていって自然の移り変わりやその季節に味わうことができる環境にふれさせたいなーと思う毎日です。

幼稚園はと言えば、はじめましての子ども達も進級した在園児も、皆クラスや先生など新しい環境に順応中です。ちょっぴり不安げな表情の子や泣いている子もまだ見受けられますが、少しずつ慣れてきているのが表情や行動を見ているとわかります。時々泣いている子も見かけますが、これも新年度のお決まりの風景。そんな涙の子をちょっぴり先輩めるへんっ子たちが声をかけてくれたり自分のティッシュを差し出してくれたりしており、そんな微笑ましい風景が広がっています。

春は出会いと別れの時期ということもあり、新しいめるへんっこたちとはこれから一緒に過ごしていきながら成長を見ていけるのが楽しみです。また、3月に卒園した子ども達も、学校に少しずつ馴染めているか、友だちはできはじめたかなど、いろいろと気になるところがありますが、卒園しためるへんっ子たちの力を信じて、心からのエールを送るしかないなという想いでいます。

そんな中、毎年春は懐かしい顔ぶれにも出会える季節です。小学校や中学校卒業等の節目として顔を見せてくれる卒園生もたくさんいます。

その昔、お父さんのお仕事の都合で他県に転園したY君。現在は実家が神奈川県にあるとのことでしたが、山形大学に進学し、この春卒業を迎えたとの事。そして卒業式があるため、Y君のお母さんTさんと弟さんも山形に足を運んだそう。そしてその帰り道に三人でめるへんに立ち寄ってくれました。Tさんご一家は現在、仙台には親戚も何のゆかりもなく、あるとすればめるへんだけ。それにもかかわらず、わざわざ仙台に立ち寄り、めるへんに足を運んでくださったそう(涙)。大学卒業を機に小さかった頃過ごした仙台、そしてめるへんに立ち寄ってくれたことが本当に嬉しかったです。

Y君は幼稚園時代、とても虫に興味がある子で、当時教務主任だった私は、なかなか保育室に入らないY君にお付き合いして、一緒に虫捕りをしたり、当時かわいがって飼育していたカナヘビ談義をY君としたりしてY君のペースに合わせながら、私も一緒に楽しませてもらっていました。Y君もカナヘビのエサとなるクモ捕りや生まれたカナヘビの卵に夢中だったことを今でも覚えていたようでした。そして、タイヤ階段の草むらでよく虫探しをしていたことも覚えていた様子。そのタイヤ階段や園舎を見て、大変懐かしそうでした。私たちが懐かしい話に盛り上がっているところにS先生もやってきて、「Y君と言えば、いつも職員室の窓辺のところから、「千春先生ー早く虫捕りしようよー!」と顔を出して、千春先生がいつも「ちょっと待ってて―!!」と給食を流し込むように食べて「ちょっと行ってくるわ!」と外に出て行くのが日課でしたよね~」と言っていました。そうそうそんなこともあった!とS先生の話を聞いて当時を思い出しました。Tさんも私が担任だったと勘違いしていたほど(笑)。

そしてそのY君。この春大学を卒業後は大学院に進むとの事。どんな分野の勉強をしたくて大学院に進むのかを聞いてみると、生物学の勉強をもっとしたいということでした。やっぱり!!生物学!「そっかそっか、だって小さい頃から生き物や自然にとっても興味があったもんねー」と、それが今でも活きているのだなと思うと、あの頃給食を丸飲みし(笑)、早食いしてY君に付き合った意味があったということだなーと嬉しくなりました。今、勉強が楽しいと言っていたY君。好きな分野の勉強はとても楽しいものだと話していました。

 

新年度が始まった今、子ども達がどんなことに興味を持ち、どんな好きなことが見つけられるか。皆と同じことができることももちろん大事なことだけど、個々の興味や関心がどこに向かうのか、そしてそれらに私たち教師もどう向き合っていくのか。未来の子ども達の行く末は、幼児教育の土台も大きく影響していることを私達も心にとめながら、ひとりひとりに向き合っていきたい…そう改めて感じた新年度の始まりでした。

 

 

園長    伊勢 千春

2025年03月12日

3月13日、明日は年長さんの卒園式です。

ここ数日、年長さんから話しかけられるたびに「この子とこうして顔を見合わせながら会話するのもあと少しか~」と思うと何だか寂しくなったり、一生懸命卒園式の練習に励んでいる姿を見ては、いとおしさが込み上げてきたり。年長担任はもちろんのこと、きっとどの先生達もそんな想いで子ども達に温かなまなざしを送っていることと思います。

 

私がこの立場になってから、毎年先生達と年2回、夏と冬に個別面談を行っています。その時に皆の学期の反省や今後の課題、また、今悩んでいることや困っていることなど、率直な意見を聞かせてもらっています。保育の深い話をすることもあれば先生達の私生活のお悩みを聞くこともあり、何でも自由に話してもらっていい時間としています。

その中で、今年初めて年長児を受け持ったS先生から1学期の終わりに悩んでいることがあると聞かされました。S先生は就職してから年少組を2回受け持ち、今年度初の年長担任でした。

何に悩んでいるのか聞いてみると、子ども達の「心育て」が難しくて分からないということでした。心育てってなんだろう、心ってどうやって育つんだろう、心が育っていると感じるのはどんな時だろう…と考えれば考えるほど難しすぎて、どうすればよいのか分からなくなってくるとのことでした。

二年間受け持った年少さんは子ども達の育ちがとても良く見えたそう。

「泣かないで登園できるようになった」「おむつがはずれた」「着替えや食事、自分のことが自分でできるようになってきた」「「かして」「いいよ」がちゃんと言えるようになった」など、明らかに目で見える成長をいくつも感じることができ、保護者とも嬉しさの共有ができていた、そんな二年間だったよう。ところが、年長になると、そういう目に見える成長は大体できているわけで、目にはなかなか見えにくい「心の育ち」の面を育てていく比重が大きくなっていくのです。その部分はどうやったら育つのだろうか、どういう時にそれが育っていると言えるのかどうか、そして担任としてそこを育てていけているのだろうか…と悩んでいた、とのことでした。

私はS先生の抱えている悩みを聞いて、正直すごく嬉しかったのを覚えています。S先生がそんなことを思って保育していたんだ、そんな深いところをしっかり見てしっかり悩んでいたんだと思ったら、とても大切な部分に気づき、悩んでいることが素晴らしいなと思ったのです。

年少さんでは個々の「できた」が大きいですが、年長ともなると「一人のできた」から今度は「みんなで」とか「友達と協力する」「最後まであきらめずに頑張る」「自信が持てないことにも挑戦してみる」などみんなと一緒に達成感や喜びを味わうという気持ちが芽生えてくるのです。そして、少しずつメンタル面での強さだったり自分中心だったものから相手もいることや仲間がいることを知っていったりする中で、心も少しずつ育っていくのです。そして個々の育ちだったものが一つの「クラス」という塊になって「みんなで育っていく」という感覚になっていくのが年長です。私もその感覚は年長担任時代に存分に味わいました。それは年少とも年中とも違う特別な感覚でした。その悩みを打ち明けてきたのはまだ一学期でしたから、S先生には今はまだ「心が育つ」ってどういうことかピンとこないかもしれないけれど、一年かけてきっと「心が育つとはどんなことか」の意味がきっと分かるはずだから、焦らないで子ども達に向き合っていこうという話をしました。心とはそんな簡単に育つものではないし、日々の様々な経験の小さな小さな積み重ねが大事なのです。そして日々の生活の積み重ねの先には、運動会や合唱会、そして最後の集大成の卒園式などがあり、それらを通して教え子たちの心が育っていると、きっと感じることができると思ったからです。

S先生だけでなく、一人一人の先生達がこうして日々様々なことを考え、悩みながら子ども達に向き合っているのだと思います。年二回の個別面談以外でも、「少しいいですか」と毎日先生達が子ども達のことで相談に来てくれていますから。そう考えていたら、そんな悩みや想いを持っている先生達のことをとても誇らしく思いました。毎日の忙しさに追われ、ただ日々を流していくのではなく、子ども達のために悩み考え、ただひたむきに子ども達に向き合えることは先生冥利に尽きますし、そこを突破出来た時に見える一筋の光は誰が照らすものでもなく、紛れもなく子ども達の姿から感じ取ることができるものだと思っています。

私達はそうやって子ども達から成長させてもらえているのだと思います。

子ども達と同じように、時に悩み考え、時に落ち込み、時に喜び、時に感動したのは先生達も一緒です。

「S先生、もうすぐ卒園式だね。子ども達の心が育つってどんな感覚か、今ならもう分かったかな」と数日前に聞いてみると、「はい!すごくよくわかりました!」と満面の笑みで力強い返事が返ってきました。

 

幼稚園生活はこれからの子ども達の長い人生の中でたった一握りの時間です。

しかしこの幼稚園時代は人として成長していく根っこの部分で、紛れもなく土台となる大事な時間です。そんな時期にかわいいめるへんっ子達に出会えたこと、そして子ども達の成長を保護者の皆様と見守っていけたこの時間は、私達のかけがえのない宝物です。

明日巣立っていく78名の年長さんをしっかり見送り、元気に小学校へ通えるようエールを送りたいと思います。

 

 

園長    伊勢 千春

 

2025年03月04日

子ども達と関わっていると、どうしても自分の我を通そうとしたりなかなか切り替えられなかったりする場面に出くわすことってありませんか?幼児ならあるあるの姿ですよね。幼稚園でももちろんそんなことは日常茶飯事です。

少し前にもこんなことがありました。

満三歳児のRくん。

虫メガネを職員室に借りに来て、虫探しをしたかったよう。ところがその後すぐにクラス活動が始まるとのことで集まりの時間になってしまいました。集まりの時間になったら使っていたおもちゃは皆で片付けるため、もちろん職員室から借りていた虫メガネも返さなければならないのです。ところがR君、「まだ使いたい」「虫メガネを返したくない」とのことで、クラスのR先生と共に私のところにやってきました。「園長先生、R君が虫メガネをどうしても返したくないって言っています。もうお集りの時間になっているのだけれど…」と。空気を察し私もR君に「R君、さっき貸してあげた虫メガネでもっとあそびたかったんだね。でももうお集りの時間になっちゃったのかー。それじゃあ虫メガネは園長先生が預かっておくからまたあとで借りにおいで」とお話ししました。ところがR君は虫メガネを離したくない様子で手でぎゅっと握りしめていました。何度か話しをしましたが、頑なに虫メガネを離そうとしません。しまいには、虫メガネを取られまいと、着ていたジャンバーのポケットにそーっと入れようとする姿も(笑)。

今回をOKにしてしまうと、次もまた…となるかもしれませんし、他の子達だってそうしたくなるはずです。そこでR先生に「R先生、もうお集まりが始まっているかもしれないから、先生はお部屋に戻っていいですよー。R君はきっと虫メガネを返せるはずだから、虫メガネを返せたらR君もお部屋に帰りますね」と話しました。R先生も「はい、わかりました。じゃあR君、先生は先にお部屋に行くけど返せたらお部屋に来てね。待ってるね」と言って職員室を出ました。

残されたR君。少しするとウワ~ンと泣きだしました。「そうだよね、まだ使いたかったし先生も行ってしまって悲しいね。虫メガネさんのおうち(虫メガネを収納しているケース)に返せたらR君もお部屋に行こうね」とだけ声をかけ、私も仕事を始めました。少しするとR君の涙が止まり、ジャンパーのポケットから虫メガネをそーーーっと少し出したり引っ込めたり(笑)。何度もそれを繰り返していました。(本人なりに頑張って自分の心と格闘しているのね…頑張れR君…)と想う気持ちでR君のその姿を横目で見ながら見て見ぬふりをしていました。すると少ししてからケースの中に虫メガネを手放すR君の姿が!「R君! 今、虫メガネさんお家に返せた?」と聞くと「うん」と小さくうなずきました。「R君!すごいよ!偉い偉い!!先生に言われなくても自分でちゃんと返せたね!」と言いながらムギュ~っと抱きしめ、たくさんほめちぎりました。するとR君の顔から満面の笑みがこぼれ「Rね、園長先生にぎゅーってされちゃうと何だか笑っちゃうんだ~」と、さっきまであんなに大きな声で泣いていたとは思えないくらいの満面の笑みでした。

R先生にあとから聞いた話では、部屋にニコニコ笑顔で戻ったR君からは虫メガネを返せたことよりも「園長先生にムギュ~ってされて、Rなんだか笑っちゃったんだ~」という一言だけだったとか。

 

子ども達との向き合い方は本当に根気と時間が必要です。よく、何か問題が起こったり悲しいことが起こったりすると、時間が解決してくれる…という言葉を耳にします。いくら大人が一生懸命正論を子どもに伝えたところで、実際に自分の心に折り合いをつけるのは子ども本人です。こちら側では早く解決したいし子どもには正しいことを伝えたいと思って諭しても、大人が思うようにすんなりいくわけがないのです。

今回の件がいい例のように、R君には自分で虫メガネを手放す時間が必要だったわけです。そして自分で心に決着をつけ、ちゃんと借りたものを返すことができたその行為をたくさんほめたことで、きっとR君自身の心もすっかり晴れたのでしょう。

借りたものを返す、使ったものは片づける…当たり前のことでもちゃんと自分でやれたのならそれは大いに褒めてあげていい部分だと私は思っています。

忙しい毎日の中で、家庭ではなかなかこのように時間をとっていくことが難しいかもしれません。家庭では難しいことも、幼稚園でこうしてご家庭のサポートが少しでもできたならいいなと願いながら日々子ども達に向き合っています。こうした小さな小さな積み重ねがいつか子ども達の心の根っこになると信じて。

 

~おまけ~

今朝のめるへんの空と元気にあそびまわる子ども達

IMG_7042IMG_7049IMG_7045

園長    伊勢 千春

 

2025年01月30日

新しい年が始まったと思っていたら、もう1月も終わりです。

昨年末に、若い頃共にめるへんで頑張っていた、現在大阪に在住している私の1つ上の先輩Y先生から宮城に帰省するという連絡を受けました。それならばせっかくだし何人かに声をかけて、久々にみんなで集まろうかという話になり、新年早々の1月2日に、苦楽を共にしてきた元めるへんの先生達で『めるへん会』を行いました。今回は5名で集まりましたが、正月早々にも関わらず、皆一つ返事で「行きます!!」と(笑)。コロナ前に集まっていたので数年ぶりの先生もいれば、20年ぶり?!という先生もいて、大賑わいの会でした。

30年近く前になるようなはるか昔に一緒に頑張っていた頃の話はつきず、三次会まで突入(笑)。一分間の会話の中に入る語彙量がこれほどまでに多い会話ってなかなかないよね…と、笑いがつきませんでした。会話の中心は、自分たちの頑張ってきた栄光の輝かしいきれいな思い出…には程遠く、ほぼ、当時の園長にこっぴどく叱られた(いや、指導された)話や失敗談でした。当時の園長からは言葉の使い方や文章を書く際のポイント、歌や絵本選びのポイントから私たちの服装、髪形、立ち振る舞いまで、本当にたくさんのことを教わりましたが、それらに絡む自分達のダメ話に花が咲いたのでした。

その当時は必死でがむしゃらに突っ走っていたので、こういうことを改めて語る暇もありませんでした。しかし、今になってみれば思い出話にもなり笑い話にもなっています。しかしその中でも、特に叱られた経験や失敗した経験が、いい意味で今でも自分の根底にあり、このことを現在も心にとめて二度と同じ過ちを繰り返さないようにしているし、その教えが今に活きているという先生達がほとんどでした。たくさんの厳しい指導を受けましたが、それが自分の考えの柱にもなっているし実際の子育てにも活きていたよねと。私自身もその教えが今の自分の考えの基本にもなり自身の子育ての軸にもなりました。逆にあの時そういう教えを受けていなかったら、今と同じ考え方や子育てができていたかと思うと、きっとそうではなかったと思います。

今の時代はひとこと「指導」といっても受け取り方や伝え方の問題があり、難しい時代ですが、私達旧世代は過去の時代に揉まれ指導され今があると思っている仲間ばかりでした。

5人集まった中で私も含め3人が今でも保育園や幼稚園などで仕事をしていますが、一人は幼児向けの学習教室、一人は大学の研究室の秘書など様々でした。置かれている状況はそれぞれ違いますが、今は本当にいろいろと難しい時代だねーという、どこか少し物寂しい印象を皆が持っているように感じました。

今回集まった中で私だけが今も変わらずずっと同じところにいるので、外の世界が分かりませんが、他の4人は皆、いろいろな職場や職種を経験してきています。そんな経歴をたどってきた皆が、これまでいろいろ渡り歩いてきたけれど、めるへん時代が一番楽しかったし一番勉強になったと話していました。指導された経験もダントツだったし大変だったけれど、それも含めて一番楽しかったと。あの頃は必死だったけどいい時間だったよねーと口々に話していました。そんな中、私はいまだこうして同じ場所にいて、幸せ者だなと感じた瞬間でもありました。たくさんの失敗や上手くいかなかったこと、厳しく注意されたことは私の糧にもなっています。ほかの仲間たちが言うように、成功したこと、上手くいったこと、褒められたことはほぼ覚えていません。しかしマイナスだったことは、胸に刻まれ、忘れられない出来事になり、二度と同じ過ちをしないように努めようという戒めにもなっています。そして、自分自身の失敗からの学びを私は余すことなく後輩達に伝えています。失敗したりしくじったり指導されたりした内容は、自分だけのものにしておくのはもったいない。これからその部分を少しでも意識していければ、私と同じような過ちを周りも減らしていくことができるだろうし、学びにもなっていくだろうと思っているからです。

ですから職場でも、家族間でも私はなるべくマイナスなことも口に出しやすいような環境が作れるよう努めています。何かしらのしくじりは誰にでも起こりえることだし、そういうことがなくスムーズにばかりいくわけがないはずです。少しでもマイナスになることが避けられればもちろんそれに越したことはありませんが、もし仮に起こってしまったのならば、それを共有し一緒に学び、考えていける機会になっていけたらと思っています。仲間のマイナスは、自分の身にも置き換えて周りの皆で補っていけたらとそんな想いでおります。

自分の失敗談や叱られ話を、反省と笑いで行ったり来たりしながら懐かしみ、「私もあったあった!」と共感し、現在頑張っている場所や状況は違えども今に活かせる、そんな仲間は最高だなと改めて思いました。

「めるへんたいむはまだやってるの?」「どろんこあそびは?」「劇あそびは?」「風の子の木登りや草転がりは?」「クラスだよりって…」「連絡帳はさすがにないよね…」などなど、めるへんの『今』について皆知りたかったよう。しかし、ほぼ全てまだやっていることばかり…(笑)。「そっか~懐かしいな~今もまだやっているんだ~」「うんうん、今の時代だって大事なことばかりだよね」「そうそう!」と皆が全肯定。ただし一つ付け加えるならば、今の時代に即した先生達の働き方やペーパーレスを目指し、「ICT化には取り組んでいるけどね」と付け足しました(笑)。

社会の風潮や働き方、物に対する考え方は変化していますが、それでも根本の大事な部分は変わっていない、そう感じることができた仲間たちとの再会に感謝しています。

 

 

園長    伊勢 千春

 

2025年01月27日

先週から始まった劇あそび旬間。劇ごっこの世界でとことんあそぶ二週間です。

これは、私が担任時代からずーっと続いている教育活動のひとつで、めるへんこだわりの教育活動です。

皆さんに馴染みのある『劇』とは全く違う性質で、セリフもなければ台本もない正真正銘のオリジナルストーリーがクラス毎展開されていきます。

クラスで読んでいる絵本や子ども達のお気に入りのお話がモチーフになっていることもあれば、日頃から子ども達に人気のお店やさんごっこやお母さんごっこからあそびが発展していくこともあり、どんなふうに始まりどんなふうに物語が進んでいくのかは、子ども達のひらめき次第☆いつでもだれでもが思ったことや想像したことをつぶやいていいし、ひらめきや発想を表現していいのが劇あそびです。ですから間違いや失敗もなく、みんなが正解なのです。

どうしても『劇』だとセリフを覚え、立ち位置を考え、決められた中で進めていかねばなりません。しかし劇あそびにはそうした縛りがないため、想像力や創意工夫、自分の思ったことや考えたことを言葉でいつでも発していいという自由さがあります。自分がなりたい役になったりなりたい役がその日毎に変わったりすることも、もちろんOKなのです。

私が担任時代も、例えば桃太郎のお話がベースになった劇ごっこをした年がありましたが、桃ではなく、メロンから生まれた(という設定の)メロン太郎、イチゴから生まれた(という設定の)イチゴ太郎になる子が現れたり、桃太郎のお供には、サル、キジ、犬ではなく猫になって猫の爪でやっつけると言って猫になる子、恐竜になって鬼を威嚇する子、はたまた薬屋さんになって眠り薬を色水などで調合し、鬼に飲ませる作戦を立てる子など、本当に大人の頭では想像もつかないような面白い発想がたくさん子ども達からあがりました。本当の桃太郎のお話では「戦う」ことで鬼退治をしますが、劇あそびでは、皆で作戦を練って、眠り薬を使ったり、鬼にクイズを出してクイズに正解したらお宝を一つ返してもらうなど、鬼と交渉する頭脳派が現れたり(笑)。クイズひとつをとっても、どんなクイズを出すかクイズの内容を考えるために鬼にばれないよう動物達でこっそり集まってヒソヒソ作戦会議をしたり、その間、鬼の子ども達は動物が来てもすぐに入ってこられないような頑丈な鬼の城を机や椅子などで作ったり。この劇あそびの二週間は園全体が劇ごっこなので、他クラスのあそびや仕掛けが我がクラスに大いに影響することも多々ありました。それが良い方向に行くこともあれば予期せぬ方向に急展開していくこともあり、先生達のアンテナは相当あちこちに張り巡らせておかなければならないという状況に(笑)。本当に予想もしない方向に事が進んでいくこともしばしばなため、子ども達の発想には油断ができません(笑)。自分もそうだったように、きっと今、担任達は子ども達の無限の発想力や想像力の面白さを味わいながらも、十人十色の自由な発想を、どうクラスで共有していくか四苦八苦していることと思います。

こんな遊びの進め方をしているので、劇の発表会ができません。ですから発表会のような見た目の華やかさや親としてのお楽しみの満足を味わっていただくのは難しいのが現実です(-_-;)。しかし、子どもファーストで考え、子どもの育ちに焦点を当てて考えれば、とても多くの育ちが生まれるのが劇あそびです。きっと家庭で劇ごっこの話が子どもから出ても、何のことだかちんぷんかんぷんだと思いますし、何か家で作っていきたいなど話が出ても、それが劇ごっこにどうつながっていくのか不明なことも多々あるかと思います。しかし、子どもの頭の中ではきっとつながっているはずです。ですから、しばし子ども達の少々不明な発言や想いにも寄り添っていただけると大変ありがたいです(笑)。

今朝、駐車場でお会いした年中K君のママからも「お休みのこの2日間もずっとキツネのお面をつけていました。」と聞きました。園が休みでもK君の頭の中はあそびが続いていたのでしょうね。

 

あと一週間。

子ども達には劇あそびの醍醐味を存分に味わってもらい、この2週間でグンと大きく育つ発想力や想像力、創造する力や表現力、工夫する力や思考力などたくさんの今育ってほしい子ども達の育ちに期待したいです。

 

 

園長    伊勢 千春

© めるへんの森幼稚園. All Rights Reserved.