園長室から~園だより
めるへんの森幼稚園の亀谷園長がお送りするお話集です。
けんか友達
園長 亀 谷 芳 彦
先月28日のPTA総会の時には満開であった長命舘址公園の桜も連休中日の2日の日にはすっかり花も散り、葉桜の緑が色を増していた。ただ残念なのは、今年は雨による落花だったことだ。花びらが散るのは散るで風情があり、西風が吹けば、その風に乗った花吹雪が園庭に向かって降り注ぎ、子どもたちが戯れたり、花びら集めをする格好の材料になるのだが、今年はそんな機会も失ってしまったことだ。よく言われることだが、桜花の命の短さが実感される。
ところで、朝や降園時、園庭に立って子どもたちの遊んでいる様子を眺めていると、突然、後ろから不意をつかれることがある。体当たりをしてきたり、叩いてさっと逃げたり、時には「カンチョウ」なるものをして逃げていく不埒な輩もいる。年少児は私にむかってきても、なんとかレンジャーのポーズで戦いごっこのまねをする程度だが、年中の後半にもなってくると、特定の子は私を目の敵にでもするように、隙を見つけては攻撃をしかけてくる。毎年このような輩は現れるのだが、あの時はこの子だった、この年はあの子だったと、懐かしく顔を思い出す。昨年末から今年にかけて、そんな悪ガキとして頭角を現してきたのは、SとYだ。当然けんか仲間なので呼び捨てだ。Sはどちらかというと正攻法で正面から来るが、まだ○○レンジャー的な格好をつけることもある。Yは、隙をつくことが多く、しかもキック攻撃が得意なので、私のズボンはよく汚されている。Yの親御さんにはクリーニング代の請求書を送ろうかと思うほどだ。
二人とも共通しているのは、当然一人では私にかなわないので、仲間を2,3人連れてくることだ。そして自分は一歩後ろから「それ行け!」と声をかけて仲間を突撃させようとする。
私は、時々このような目に遭うのだが、考えてみれば、私がこのような目に遭うのは、幼稚園では唯一の男(バスの運転手さんや技師さんがこのような目に遭っている様子は見たことがない)だからだろう。いかに悪ガキでも、さすがに、女子教員にカンチョウまではしていないようだ。子どもたちの遊びの中には、お利口な遊びだけではなく、このような遊びが生まれてくるのは、いつの世も変わりはない。しかし、その対象になるのが、腰や股関節に痛みを感じて立っていることにつらさを感じ始めたおじいちゃん先生一人というのはしんどい。そう考えると、若い男の教員も必要だということになる。
しかし、男なら誰でもいいかというと、そうはいかない。なんといっても教員は、教員としての資質を持っているかどうかが最も大切なことだ。以前ある幼稚園に、金髪で耳輪をつけた男の教員がいたという話も聞いたことがある。
教員としての資質は、本人の性格というか人柄そのものによるところが大きいが、併せて、教員養成(現職教育も含め)のプロセスの中で、視野の広さと価値観、それにプロ意識をどれだけ身につけることができるかということにある。そういう意味で、教員養成機関の役割は大きい。
昨今の日本はあたかも「資格社会」の様を呈している。資格を持っていれば就職口が広がるかのような考え方が蔓延し、様々な資格取得のためのがっこうが林立している。そのようながっこうの中には、資格付与だけが喧伝され、学校が一様に持つべき目的である人格の陶冶がないがしろにされているのもあるような気がする。
幼稚園教諭についても、以前は、免許が取れるのは一部の女子大学に限られていたが、今は雨後のタケノコのように設立されている専門学校や通信制の学校でも容易に取得できる。
ただ教員免許状を取得するためには、教育実習の単位が必要なので、幼稚園でも、伝統的な大学だけではなく、新設の養成機関からも実習の受け入れを依頼されることがある。そんな場合や採用試験の時も含めていろいろな学校の学生たちに触れる機会があるが、それぞれの学校によって違ったものを感じることがある。何が違うのかといわれても困る。個性や性格はどの学校の学生であってもそれぞれだし、学校で指導された「礼」の姿やリクルートスーツ姿は変わりない。しかし、雰囲気が違うのだ。やはり教員養成の伝統校には、伝統校が持っている文化があり、その文化が学生に伝える何かがあるように感じる。その違いは、学生へのテーマの持たせ方によって生まれるのかもしれない。新設の教員養成機関が、世に認められるには、それぞれが独自の文化を創り出せるかどうかによるであろう。
けんか仲間の悪ガキへの対応が、とんだ大きな話になってしまった。今、男子幼稚園教諭の養成は新しい教員養成機関(専門学校等)に依拠せざるを得ない。できるだけ早く、優秀な男子教員が出てくることを望む。でないと、私の体が持たない。
土の放射線測定結果について
園長 亀 谷 芳 彦
平成24年度も始まりました。新年度スタートの最初の話題が「この問題」から始まらざるを得ないのは、本当に残念です。この間福島県からの転入児も数名いますが、前の幼稚園では、昨年1年間で外で遊んだのは3日だけといったお話も伺いました。それに比べれば、仙台はまだまだ恵まれているとは思いますが、いわゆる「放射能問題」は、1,2年で忘れ去ってよいものではありませんし、その喚起と対応は常に続けていかなければならないと思います。
春休み中に、専門機関にお願いして子どもたちが多く立ち入るであろう場所(園内、風の子公園)の土に含まれている放射線測定をしました。今回は、これまでのように放射線の総量だけではなく、放射性物質ごとの検出もできました。その結果からお知らせしたいと思います。(I はヨウ素、Cs はセシウム)
(表1) 園庭 畑 砂場
I-131 未検出 未検出 未検出
Cs-134 83.43Bq/kg 31.67Bq/kg 未検出
Cs-137 117.94Bq/kg 45.18Bq/kg 未検出
お花見広場 あずま屋周辺 展望台広場 風の子窪地
I-131 未検出 未検出 未検出 未検出
Cs-134 15.49Bq/kg 32.96Bq/kg 25.04Bq/kg 354.42Bq/kg
Cs-137 13.11Bq/kg 52.13Bq/kg 30.65Bq/kg 519.15Bq/kg
いただいた結果を見ますと、甲状腺に影響があるといわれているヨウ素は、現在ほとんどなくなっていることがわかります。また、砂場からは放射性物質は検出されませんでしたが、これは春休み中に砂を入れ替えたことによると思われます。
単位はベクレル(Bq)になっていますが、ベクレルとは、放射能の量を表す単位で、1 秒間に1つの原子核が崩壊して放射線を放つ放射能の量が1Bqだそうです。例えば、毎秒370 個の原子核が崩壊して放射線を発している場合、370 Bqとなります。さらに、放射線の吸収線量の強さを表す単位をグレイ(Gy) といいますが、そのグレイに放射線の種類の違いによる生体への影響を加味して係数を掛け合わせたものが、これまでお知らせなどで使ってきたシーベルト(Sv ) です。(インターネットから引用)
つまりは、対象とする物質に含まれている放射線の量をベクレル、それの生体への影響度合いをシーベルトと理解してよいのかなと、素人なりに考えています。
そしてその放射線量(ベクレル)を食べ物として体に取り入れた場合と、呼吸として入れた場合のシーベルトに換算するのが次の計算式によります。(インターネットから引用)
(表2)
核種 半減期 経口摂取(Sv/Bq) 吸入摂取(Sv/Bq)
I-131 8.04日 2.2×0.00000001 7.4×0.000000001
Cs-134 2.06年 1.9×0.00000001 2.0×0.00000001
Cs-137 30.0年 1.3×0.00000001 3.9×0.00000001
冒頭の土の測定結果を上記の式に当てはめた場合、不検出の砂場をのぞいて、下の表の結果を得ます。
(表3) 園庭 畑 風の子お花見広場
Cs-134経口摂取 1.59μSv 0.6μSv 0.29μSv
Cs-137経口摂取 1.53μSv 0.59μSv 0.17μSv
Cs-134吸入摂取 1.67μSv 0.63μSv 0.3μSv
Cs-137吸入摂取 4.6μSv 1.8μSv 0.51μSv
経口摂取というのは、食べ物や水の場合に問題になります。普段1㎏の野菜や肉をいちどに食べるということは考えられませんが、毎日放射線が含まれている食品を食べ続ければ、それは体の中に蓄積されます(蓄積されるのは、摂取量から排泄量を引いた量と考えられます)。先般、食品の安全基準が引き下げられ、一般食品が500Bq/kgから100Bq/kg になり、乳幼児用食品と牛乳は50Bq/kg、飲料水は10Bq/kgとなりました。
もちろん、1㎏の土をすべて口に入れるということはないし、土に含まれている放射線をすべて吸気し、即座にこの表に表れた数値の放射線が体に入るということではありませんが、今は土埃に付着した放射性物質の吸入摂取が問題になります。
ところで、上記の結果の中で、もっとも目につき気になるのが、風の子公園窪地の値です。他の場所の10倍以上の値がでています。この場所はすり鉢型の窪地になっていて、毎年の落ち葉が堆積しやすいホットスポットに当たる場所であると考えられます。そこで、土のサンプルを採取した場所の空間線量(地上50㎝)も測ったのですが、窪地については、積もっていた落ち葉を1㎡程度除去しその前後の線量を測ってみました。
その結果が下の表です。
(表4) 園庭 0.062μSv 畑 0.059μSv 砂場 0.072μSv
窪地除去前 0.145μSv 窪地除去後 0.129μSv
お花見広場中央 0.082μSv あずま屋周辺 0.081μSv
展望台広場 0.062μSv 梅園 0.075μSv
以上の測定結果の数字をみると、園の敷地内も風の子公園も、これまで測定した数字から大きく変わることはないように思います。
しかし、ホットスポットとみられるの風の子公園窪地の値
Cs-134 354.42Bq/kg Cs-137 519.15Bq/kg
については気になるところなので、この数字をどう理解すべきか知り合いの識者に意見を求めたところ、次のような返信をいただいた。
まず,500Bq/kg という値の地域は,チェルノブイリの第4区分にあたります。
この地域は,住民を強制避難はさせないが、不用意な被爆をさけるために厳重に健康管理をおこないながら生活を行う地域です。
500Bq/kgという高い値が出ているのは,園長先生が仰るように放射性物質が溜まりやすい場所を選んだためだと推測します。
文部科学省からだされた,汚染マップから推定すると,仙台市内はおそらく平均的には150Bq/kg 以下であると推測しています。
その理由は,文科省の航空機モニタリング結果では,仙台周辺は汚染状況が 10000Bq/m^2 以下の地域になっています。Bq/m^2 から Bq/kgへの変換は65で割ればよいので,仙台周辺は 150Bq/kg 程度であろうと推測しています。
もちろん今回の計測結果のように局所的には,それを越えるところがあると思います。
こちら:http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/295.html
をみると,子供であれば20Bq/kgなら安全という認識がチェルノブイリを経験したロシア人にはあるという記述もあります。
では,現在,何が危ないかということを考えてみます。現在のセシウムは空気中ではなく地面の土埃などに付着しているものがほとんどで,それらを吸い込むことによる内部被曝が問題であると思います。500Bq/kgの土をそのまま食べるわけではないので,影響はかなり緩和されるはずですが,安全と言い切るには微妙な状況だと思います。
その理由を以下に示します。
○ 低線量被爆の影響が現れるまでに20年くらいかかるため,本当にどれほど危険なのかを追跡調査 することが難しく,チェルノブイリにおいてその影響を調べ切れていない(ロシアが政治的な意味合 いで隠しているのもあります)そのため,致死性のガンのみでなく,白血病,心臓病,膀胱癌,目の 病気,死産など様々な病気を調べればその被害はかなりのものになると考えています。
○また,内部被曝に関して,現在の方法でシーベルトで評価することはあまり意味がないということ があります。東京大学のアイソトープセンターの児玉先生も仰られてるように,現在の内部被曝モ デルは一様分布に基づくモデルです。しかしながら実際は,核種毎に集まる部位が異なります。例 えばヨウ素は甲状腺などです。そのため特定の臓器が集中的に放射線を浴びることになり,現在の シーベルトでの評価よりも危険性が何十倍も高くなります。
実際の対応をどうするかということに関しては,それぞれの家庭の判断にも依存するので,一概には言えないところがあります。
私の立場は,20年後に子ども達が無事であればよいという立場で,低線量被爆の影響が明確になっていない現時点で楽観的な対応はしたくないという「予防のための防護」の立場です。その立場でいくつか対応を書きます。どれにするかは,幼稚園の考え方,および各家庭の安全/危険に対する考え方に依存しますので,もしかしたら,子ども毎に対応を変えざるを得ないかも知れません。
いずれにしても,園長先生が率先してきちんと土壌の汚染状況を計測してくださっているということ,有り難く感じております。放射能の件に関しては,一つの正解を導くのが難しい問題かと思いますが,皆で考えて少しでもよい方向で近づけていければと思います。
以上のご意見なども参考にさせていただきながら、当面の対応についてお示しします。
1.風の子公園に行く場合、ホットスポットには近づかない
2.子どもの行きそうな場所で、窪地以外にホットスポットがないか、こまめに調査する
3.栽培活動は続けるが、食育の材料は購入して使う
4.外から戻ったときには、うがい手洗いを徹底する
5.晴天の日や風の強い日には、園庭に散水したり、マスクの着用を促す
6.園内のホットスポットになりやすい場所の清掃に努める
7.原則として、教室の窓は閉めておき、教室内の清掃に留意する
なお、園庭の空間線量の計測は毎日やっておりますが、風の子公園も1週間に1度は計測し、これまで通りご家庭にお知らせして参ります。
新年度を迎えて
園長 亀 谷 芳 彦
今冬は寒さが長引き、春の到来が遅いといわれてきましたが、やっと日差しの明るさは感じられるようになりました。
今年度も107名の新入園児を迎え、総勢268名の園児で平成24年度がスタートしました。以下、めるへんの森幼稚園の教育方針と、教育にかける我々の思いをお示しし、教職員一同、保護者の皆様のご理解を得ながら園児の教育に全力で当たっていきたいと思います。
教育目標―四つの柱
1 豊かな語彙と情緒を育みます
本園は、創設以来児童文学界の第一人者である富田博名誉園長の指導のもと、たくさんの良い「童話と童謡」に触れさせることによって、豊かな語彙を身につけさせ、豊かな情緒を培うことに力を入れてきました。童話の読み聞かせや情景を思い浮かべることのできる童謡を歌うことによって、想像力を培い、他を思いやる優しさなどを身につけるとともに、表現力豊かな子どもの育成を目指しています。そのためにも、絵本サークルやコールめるへんのお母さんたちにもご協力をいただいたり、「劇遊び」の取り組みにも力を入れていきます。
2 たくましい子を育てます
子ども達は、元気に園庭を走り回り、体を動かすことによって、心肺機能を高め丈夫な体を作ります。そのためにも、外遊びの充実を図りたいと思います。入園したての年少児は、ただただ先生と追い駆けっこをするだけですが、だんだんルールを伴った遊びに発展させたり、縄跳びなどで回数を競うなどがんばる気持ちを持つような遊びにも取り組ませていきます。
また、心身を解放して新奇なものに挑戦する気持ちを培うことも、精神的なたくましさを持つことに通じると思います。親父の会でも取り組んでくださる泥んこ遊びなど「裸足で泥んこ」の精神は一層強くしていきたいと思います。
3 創造する力・探求する心を育みます
隣接する風の子公園の豊かな自然を十分に活用したり、命の循環を実感できる小動物の飼育、食育につながる栽培活動などの有機的な取り組みによって、子どもたちの「なぜだろう 不思議だなあ やってみよう」といったワンダーの心を育てていきたいと思います。
また、子ども達にとって工夫する場を経験することはとても大事なことです。集団遊びやグループ活動の中でも、子ども達が話し合い工夫する場はたくさんあります。同時に、紙工作、空き箱工作、木工、自然物を利用したクラフト作り、染め物などに取り組むことによって子ども達の創造する力を培っていきたいと思います。
4 人との関わりを深め広げます
多くの子ども達にとって、幼稚園は初めての集団生活の場です。これまで家族の範囲だけで生活してきた子ども達にとって、同年代の子ども達が群れ遊び、様々な関わりの中で問題を解決していくという体験は、子どもの社会性の発達にとって非常に大事なことです。集団遊び、話し合いを伴うグループ活動、ルールのある遊び、そんな遊びを工夫することによって、子ども達の社会性の発達に寄与できるものと考えています。
また、現在の子ども達の多くは、核家族という社会環境にあって異世代の人々や、自分とは違った環境にある人々との関わりが希薄になっています。そのために本園では地域の老人会の皆さんにご協力をいただいたり、老人施設などを訪問することによって、お年寄りとの触れあいの楽しさを感じたり、体の不自由な方々への思いやりの心が育つような取り組みに力を入れてきました。しかし、ここ2,3年は、インフルエンザやノロウイルスの影響でこのような活動が制限されてしまいました。交流時期の見直しなども含めて検討して参ります。
重点行動目標
1 開かれた幼稚園を目指します
とかく閉鎖的といわれる学校や幼稚園ですが、本来教育は保護者と教師が目的を共有しあうことによってその効果をあげることができます。そのためには、今幼稚園ではどのような教育活動が行われているのかを保護者の皆さんにも知っていただくことが大切です。 勿論「学級だより」や「連絡帳」で学級や個々のお子さんの様子をお知らせはしていますが、それだけで全て理解していただくことはできません。また、直接子ども達の様子を公開するいわゆる「保育参観」は教師も身構えた保育活動をしてしまうことが多いのです。
私は「保護者の教育参加」ということを提案しています。担任の教育計画に基づいた活動の中で、指導の手が多い方が効果的であったり、専門性が必要な指導をしたい場合に、保護者の皆さんにも指導者として入っていただくということです。その場合、保護者の皆さんは義務的に参加するとか、全員が揃って参加するということではなく、時間的な都合も含めて「こんな活動なら自分もやってみたい」とか「これなら自分もできる」と思ったときに参加していただければいいのです。そのことによって我が子だけではなく、子ども達の実態としての姿を理解することができるだろうと思います。ここ数年「保護者の教育参加」を多くの学級で試みていますが、その中で子どもは、より発展した姿を見せてくれましたし、参加した保護者の方々からも好評をいただいたと思っています。
こんな活動を通して、保護者の皆さんに幼稚園教育のより深い理解をいただくだけでなく、担任と保護者の皆さんとの信頼感が深まり、両者が一緒になって指導計画を作ることも可能となり、保護者と教師がより高い教育目標を共有する姿も生まれるのです。
なお今年度は、多くの提言をいただいた「合唱会」について、別会場一回公演で実施する方向で考えております。この場合も、いくつかのデメリットは考えられますが、実施してみて、またご意見をいただきたいと思います。
2 安全には最大の気配りをします
幼稚園に限らず、子ども達の安全を守ることは、社会的課題にもなっています。私たちも、子ども達の安全には万全の気配りと対応をするつもりです。
まず、地震や火災を想定した避難訓練は年に数回実施しております。これは子ども達に火事や地震の恐ろしさを意識させること以上に、職員たちの緊急時の対応についての訓練という意味を持ちます。昨年の大震災の折には、我々にとっても反省点はたくさんありますが、子ども達の第一次避難・第二次避難は適切に行われたと思っています。これも日頃の避難訓練を中心とした指導の成果だと思っています。まだ余震の心配がありますが、倒れる可能性のあるものを洗い出し、現在倒壊防止の処置を執っております。
また、園庭前のフェンスにはセンサーが設置されています。不審者の侵入を防ぐということを一番の目的としています。不審者対応のためには、各教室に緊急ブザーや携帯ブザーも設置すると同時に、サスマタも用意しております。さらに子ども達の事故防止も含めて防犯カメラも要所に設置しています。また、一昨年度から外来者用の名札を用意しました。保護者の皆さんも、送り迎えを含む来園の際には、名札の携帯をお願いいたします。
子ども達のけがで多いのは、遊具で遊んでいるときです。遊具の安全点検は、月1回全職員で実施しています。また子ども達はブランコが大好きで、ブランコは休むことなく働いていますが、そんな時、見境無くブランコの前後を走り抜けようとする子ども達もいて、衝突する危険があります。そんな事故を防ぐために、ブランコの周りに柵を設けています。なお、プールのコンクリート部分は、万が一ぶつかった場合でもその衝撃を和らげるためにクッション剤でコーティングしております。また、固い物がガラスにぶつかって割れた場合でも、飛散防止のシートを教室のガラスの両面に貼り、ガラス片でけがをしないよう努めています。数年前数人の子どもがふざけてガラスにぶつかり、ガラスを割るという事故が起きてしまいましたが、ガラスが砕け散ったり穴が開いたりすることなく、一切けがをしませんでした。シートを貼るという対策が功を奏したと考えております。
幼稚園で、もっとも心配をするのは、園児が知らないうちに園外に出てしまうことです。それを防ぐために、職員がそばにいないときには、門扉や、駐車場のじゃばら扉は常に閉めておくことにしております。保護者の皆さんも駐車場への出入りのときには、ご面倒でも入口に駐車することなく、いちいち扉の開け閉めをしていただくようご協力下さい。
最近はアレルギーの子ども達も増えてきました。教室等の清掃、特に隅の方に埃などをためないよう、全職員で努めるともに、全教室に空気清浄機を設置し、ダストアレルギー等の軽減に努めております。
また、給食は外注しておりますが、食物アレルギー対応給食も行っております。給食業者やご家庭と連絡し合いながら、個人々々の状況に応じた献立を提供しております。
さらに各教室に浄水器を設置し、子ども達が口にする飲み水は、浄水器を通したものを飲むようにしています。
そして、昨年の大災害は、放射性物質の飛散という副産物までもたらしました。園では、毎日園庭等の空間放射線を測定し、園便り等でお知らせしております。現在は、そう神経質になる数値ではないといわれていますが、幼児にとっては体内への取り込みや皮膚への付着等を避けるにこしたことはありません。南風がふく日はマスクをしたり屋外での遊びを少なくする、あるいは雨に当たらないようにするなどに留意していきたいと思います。なお、ご家庭でもマスクを常時携帯させるとか、放射背物質が付着しにくいコート(ナイロン製等)の着用などにご配慮ください。
以上、園が取り組む安全対策を紹介しましたが、安全対策で最も大事なのは、人の注意力と目の数です。子ども達への安全教育とともに、8人の講師を含め全学級二人体制で、子ども達の行動には万全の注意を払っていきたいと思います。さらにお気づきのことがありましたなら、いつでもご意見をお寄せ下さい。子ども達の安全に関しては、できる限りの改善に努めて参ります。
3 教育のプロ集団を目指します
教育は人によって行われます。子どもにとってもっとも大事な教育環境は人的環境ですが、それは取りも直さず保護者であり教員であります。保護者と教員との連携した対応こそ、子どもにとって最良の教育環境と言ってもいいのでしょう。そのような教育環境を構築するためには、保護者の皆さんと園が教育目標を共有し、相互に信頼感を持っていること、そして幼稚園が保護者の皆さんから信頼を戴くためには、幼稚園が保護者の皆さんに対して開かれていることと教員が皆さんの信頼に応え得る教育活動を実践することが必要なことと考えています。
開かれた幼稚園を目指すことについては前述しましたが、保育参加とともに、子ども達の様子、教育の様子を様々な方法で保護者の皆さんにお知らせしていくことが肝要だと思っています。
さらに、全教員が教員としての資質を高めることが必要だと思っています。教員としての資質とは、子どもや保護者の皆さんの気持ちに寄り添うことができる「他者への想像力」を持っていること、さらに教育のあり方を常に求めようとする「探求心や教材開発する力」にあります。そしてこれらの教員としての資質は、それはまた「子どもを媒介とした教師集団」の中での協同性や切磋琢磨によってこそ育まれていくものだと考えております。
私たちは、そのような教員がお互いに成長し合えるような「教育のプロ集団」になれることを目指していく覚悟です。
4 預かり保育について
最後に一つだけお願いいたします。
今年度から、共働き等の理由で園児の保護に困難なご家庭に対して仙台市の配慮で費用負担の軽減と土曜日の「どんぐり」開設が始まりました。
これまで本園では、「どんぐり」を利用する場合の理由は非常に弾力的に扱って参りました。しかし、新制度の対象になるご家庭は、保育所と同じようにお子さんを預ける事由を厳密にお考えいただきたいと思います。つまり、お子さんを預ける事由の終了後は直ちにお迎えに来ていただくことが原則です。(例えば、勤務終了後、お迎えの前に買い物を済ませる等はご遠慮願います。通常の勤務終了時刻より遅れる等の事情が発生した場合にはご連絡ください。)
また土曜日の利用については、当日お子さんの保護に当たる大人が全くいないという場合にだけ利用可能です。新制度対象者以外でも利用は可能ですが、あくまでもやむを得ない事情がある場合ということでお願いいたします。これまで認められてきたような保護者の教養活動のため等の利用はご遠慮ください。特に土曜日や長期休業期間は、職員の体制が手薄になりますので、どうぞご協力をお願いいたします。
みみをすます
園長 亀 谷 芳 彦
次ページの詩は、谷川俊太郎さんの「みみをすます」という作品である。
「耳を澄ます」という言葉は、「聞く」とか「聞こえる」といった言葉以上に、自分の意思を持った能動的な行動を表す。しかし、同じ能動的な言葉でも、「聞き耳を立てる」とか「耳をそば立てる」といった言葉に比べれば、より素直な心で、邪心や偏見を持たずに聞いているという印象を受ける。
谷川さんは、あらゆるものに耳を澄ます。それは人間であったり、自然であったり、動物であったり、歴史であったり、そして宇宙であったりする。さらに音のでないものにまで耳を澄ます。谷川さんは、昨日の雨だれの音に、そして現在のざわめきの底に、さらに明日の川のせせらぎの音に耳を澄ます。つまり、過去と未来、そして現在の声にならない声にまで耳を澄ます。私は、谷川さんが表現した「みみをすます」という言葉は、想像力を働かせるということと同義であると考えている。
谷川さんは、人々の足音に耳を澄ませて、何を想像するのだろうか。様々な人々の存在と、それぞれの人生の姿を想っているように感じる。そして人間以外の存在にも……。
死んでゆく恐竜、落雷で燃える木、そして絶え間ない潮騒、深海に降り積もるプランクトンの死骸、このような四十数億年の地球の進化を経て、現在の自分の出生がある。
そして、自分の成長過程で聞こえた声や音。幼き頃の父母の愛情や懐かしい生活、しかしそれは、心地よい音だけではない。争いや戦いの音、苦しむ人々の存在、そしてそれは今も続く。
谷川さんは壮大な宇宙-百数十億年前と言われるビッグバンをさらに遡り1兆年前の空間にまで想いをいたす。一方、路傍の石のように、身の回りにありながら普段は気にもかけられないであろう事象や存在にも目を向ける。つまり、彼の中には、壮大な宇宙を望む巨視的感性と、身近にある些細なものにも気づく微視的感性が併せて存在する。そして、今ここに流れ込んではいないが明日には到達するであろう、まだ聞こえない小川のせせらぎ、そんな未来にまで想像を広げようとする。このように、谷川さんはあらゆることに関心や好奇心を向け、そして注視し想像力を働かせる。
この詩は一ヶ所だけ括弧書きになっている。この一節がもっとも大事で、彼が訴えたかったところだろうと思う。
(ひとつのおとに ひとつのこえに みみをすますことが もうひとつのおとに もうひとつのこえに
みみをふさぐことに ならないように)
今、自分自身は、歴史との関わり、他者との関わり、社会との関わり、そして自然との関わりの中で存在し、生きている。一つの思いこみや限られた立場に固執したり、自分以外のことからは目をそらし、他の立場を理解しようとしないことがないようにと訴える。そのことによって、より大きな世界が見えなくなり、無益で不幸なトラブルに見舞われる危険があるということへの警鐘だろう。谷川さんの未来への想像力である。
いよいよ明日は卒園式。112名のめるへんっ子が希望を持って巣立っていく。この子たちが、めるへんの生活の中で培った想像力を、より豊かに膨らませることのできる大人として成長することを願っている。
みみをすます
谷川俊太郎
みみをすます
きのうの
あまだれに
みみをすます
みみをすます
いつから
つづいてきたともしれぬ
ひとびとの
あしおとに
みみをすます
めをつむり
みみをすます
ハイヒールのこつこつ
ながぐつのどたどた
ぽっくりのぽくぽく
みみをすます
ほうばのからんころん
あみあげのざっくざっく
ぞうりのぺたぺた
みみをすます
わらぐつのさくさく
きぐつのことこと
モカシンのすたすた
わらじのてくてく
そうして
はだしのひたひた……
にまじる
へびのするする
このはのかさこそ
きえかかる
ひのくすぶり
くらやみのおくの
みみなり
みみをすます
しんでゆくきょうりゅうの
うめきに
みみをすます
かみなりにうたれ
もえあがるきの
さけびに
なりやまぬ
しおざいに
おともなく
ふりつもる
プランクトンに
みみをすます
なにがだれを
よんでいるのか
じぶんの
うぶごえに
みみをすます
そのよるの
みずおとと
とびらのきしみ
ささやきと
わらいに
みみをすます
こだまする
おかあさんの
こもりうたに
おとうさんの
しんぞうのおとに
みみをすます
おじいさんの
とおいせき
おばあさんの
はたのひびき
たけやぶをわたるかぜと
そのかぜにのる
ああめんと
なんまいだ
しょうがっこうの
あしぶみおるがん
うみをわたってきた
みしらぬくにの
ふるいうたに
みみをすます
くさをかるおと
てつをうつおと
きをけずるおと
ふえをふくおと
にくのにえるおと
さけをつぐおと
とをたたくおと
ひとりごと
うったえるこえ
おしえるこえ
めいれいするこえ
こばむこえ
あざけるこえ
ねこなでごえ
ときのこえ
そして
おし
………
みみをすます
うまのいななきと
ゆみのつるおと
やりがよろいを
つらぬくおと
みみもとにうなる
たまおと
ひきずられるくさり
ふりおろされるむち
ののしりと
のろい
くびつりだい
きのこぐも
つきることのない
あらそいの
かんだかい
ものおとにまじる
たかいびきと
やがて
すずめのさえずり
かわらぬあさの
しずけさに
みみをすます
(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)
みみをすます
じゅうねんまえの
むすめの
すすりなきに
みみをすます
みみをすます
ひゃくねんまえの
ひゃくしょうの
しゃっくりに
みみをすます
みみをすます
せんねんまえの
いざりの
いのりに
みみをすます
みみをすます
いちまんねんまえの
あかんぼの
あくびに
みみをすます
みみをすます
じゅうまんねんまえの
こじかのなきごえに
ひゃくまんねんまえの
しだのそよぎに
せんまんねんまえの
なだれに
いちおくねんまえの
ほしのささやきに
いっちょうねんまえの
うちゅうのとどろきに
みみをすます
みみをすます
みちばたの
いしころに
みみをすます
かすかにうなる
コンピューターに
みみをすます
くちごもる
となりのひとに
みみをすます
どこかでギターのつまびき
どこかでさらがわれる
どこかであいうえお
ざわめきのそこの
いまに
みみをすます
みみをすます
きょうへとながれこむ
あしたの
まだきこえない
おがわのせせらぎに
みみをすます
春の足音
園長 亀 谷 芳 彦
3月の声を聞くと何か違った気持ちになる。年度末、卒園式といった慌ただしさも、幼稚園や学校の雰囲気であるが、それ以上に自然界から受ける気分が違う。
ところが3月に入ったとたん大雪に見舞われ、登園バスの大幅なダイヤの乱れという一撃を食らってしまった。しかし、雪の質は水分を多く含んだ牡丹雪で、昼前から替わった雨や高い気温によって、案外早く溶けてしまうだろう。春を迎えての名残雪といったところだ。
それに、このところの晴れた日の日差しの明るさが違う。3月の明るい日差しには、夏のぎらぎらした明るさと違って、柔らかな暖かさに包まれ、落ち着いた安堵感を覚える。また、園庭から見上げる風の子公園の木々の梢も色合いを含んだ光を放つ。
私はこの季節になると一つの歌を思い出す。
春の足音
丘の日ざしは あかるくて
雑木林の ならの芽が
紅くけむって のびるから
春は ホラ ホラ
もうすぐそこまで来ているよ
銀いろ綿毛の ねこやなぎ
ゆらゆらゆれて 映ってる
土蔵のかげも 光るから
春は ホラ ホラ
もうすぐそこまで来ているよ
北風ばったり 吹きやんで
鳶ひょろひょろ 輪をえがく
田んぼの田ぜりも 萌えたから
春は ホラ ホラ
もうすぐそこまで来ているよ
この歌は、私が小学生の時の教科書に載っていた歌唱教材で、音楽の授業で歌った歌である。当時、この歌が3月の教材であったのか、年度初めの4月教材であったのかは忘れたが、冬から春への季節の変わり目の雰囲気を歌ったものであることからして、やはり今の時期に歌うのが合っているだろう。
実は、この「春の足音」は、本園名誉園長富田博先生が作詞したものだ。冬から春へ季節が移ろうときの表情が見事に現れた名曲である。つまり、富田先生によってうち立てられためるへんの教育はこの歌に表現されているような感性がベースになっている。
雑木の梢を彩る芽吹きやネコヤナギの膨らみなどに気づく目、そして季節を感じる心。つまり、身の回りの自然の中にある様々な現象に気づくためには科学的な感性が必要であり、そこから季節の移ろい等を感じるためには情緒的な感性が必要である。めるへんでは、それらの感性を育てることを教育目標の柱の一つとしている。教員たちは、日頃そのような教育目標実現のための環境作りに励んでいる。
幸い本園は自然豊かな長命舘址公園に隣接している。このような環境の中でのアウトドア教育は「春の足音」の中で歌われた情緒以上に、無限の広がりの可能性がある。そして、それを生かすのは、富田先生にお示しいただいた感性を我が身のものとした我々教員たちによる「風の子公園の教材化」と意欲的な教材研究によってのみ可能であると考えている。