園長室から

心に思うこと、その時感じたことをそのまま綴る、園長の徒然日記です。

紅梅の木のように

明日、いよいよ卒園式を迎えます。

ここ最近、園長室で仕事をしていると、卒園の時にステージ発表する声や、歌声が聞こえてきていましたが、先週末の予行練習で初めて年長さんの練習風景を見ました。この日が本当の卒園式でもよかったくらいひとりひとりが頑張っていてとても立派でした。

2、3年前はお母さんから離れ、あんなに泣いたり話が聞けなかったり、集団のルールも分からず自由に動き回っていた子ども達が、たった2,3年でこんなにも成長するのです。ですから子どもの成長というのは本当にすごいと思います。

そして、子ども達がこんなふうに成長したのは、ひとりひとりの心の根っこが育ったからです。

あそぶ時はとことんあそび、やるときはしっかりやる、そして頑張る力もたくさん育ったからです。こうして大きくなれたのは家族のおかげであり、たくさんのことを一緒に学んだ友だちのおかげ、皆のおかげです。決して一人で大きくなっているわけではありません。だから、卒園する子ども達にはそのことを忘れず、周りの人に感謝できる子であってほしいと願います。

これから先、楽しいことや楽なことばかりでなく、嫌だなと思うこと、上手くいかないこと、苦しいことだってたくさんあるはずです。親や周りが助けてあげられることもあれば、自分で考え乗り越えなければならないことだってきっとでてきます。だからこそ、子どもにとっての試練を自分の力で越えていける強さやたくましさを持ってほしいという想いも持ちながら、子ども達に本気で向き合ってきました。

幼児期は木で言えば根っこの部分であり、土に隠れて見えない部分だと思っています。その根っこがどう育つかでその後の木の太さや強さに影響してくるのです。しっかりと地に這うような立派な根っこになれば、その後幹が伸びていくうえで雨風にさらされても、冬の寒さを直に受けても耐えることのできる立派な木になると信じています。だからこそ、人の目には見えない根っこの部分にこだわっているのです。

子ども達のこれからの長い人生の中で、幼稚園時代はほんの2,3年であり、それこそどんな幹になりどんな葉をつけ、どんな花を咲かせるかはわかりません。しかしこの土台をしっかりつくることでその後の育ちに影響があるとするならばなおのこと、子ども達に携わる私達の使命として、この短くも重要な2,3年をひとりひとりとしっかり向き合っていかなければならないと思っています。

 

先日、隣の長命館公園のサポーターズクラブのIさんから紅梅の木の枝の一部をいただきました。紅梅の木の枝の皮を削ったものをIさんが持ってきて下さったのですが、見ると枝の皮の下はなんと赤い色をしていました。枝の切り口の断面も赤くなっていました。

Iさんの話によれば、この枝の赤い色は梅の花が開くまでの間だけであって、梅の花が咲けばもうこの赤い色は枝にはみられなくなるそうです。調べてみると、木が乾燥するにつれ色が抜けていき徐々に枝の内面の色は褐色になるとのこと。だからちょうど開花の頃には枝の内面は紅色ではなくなるとのことでした。実際年長クラスで以前いただいた紅梅の枝の一部の切り口は花開くまでは赤くなっていましたが、梅の花が咲くとその切り口部分は白っぽくなり紅色ではなくなっていたそうです。それを見て子ども達も「えぇ~!ほんとだ~!なんでぇ?!」と驚いていたそうです。

Iさんから、「この紅梅の木の枝は先生達みたいだね。」と言われました。

「紅梅の木の内面は最初はこんなにも赤いのに、花が開くころには色が花に吸い取られるかのように白っぽくなる。たくさんの栄養を子ども達に与え、子ども達がそれを吸収し花開く。先生達が枝だとしたら子ども達は梅の花のようだね。」と。

なんて素敵な表現なんだろうと感動しました。

枝の内面の赤い色は、冬の寒さが厳しければ厳しいほど濃くなり、やがて咲く紅梅の花の色も濃く深く色味が増すそうです。

子ども達と真剣に向き合うには、時に悩み、時に迷い、様々な苦労ももちろんあります。しかし、そんな迷いや悩みも含め冬の寒さのように試練があった分だけやがて咲く花が綺麗に花開くとしたら、こんな嬉しいことはありません。

Iさんのこのたとえを聞いて、なんて素敵な表現であり、私達の仕事はなんて素晴らしいのだろうと感じました。

そんな想いでお預かりしていた子ども達93名もいよいよ巣立っていく時がきました。

いつか子ども達の咲く花が、濃く、深く、人の心を揺さぶり魅了するようなそんな色味のある花になるよう願い、小学校へ送り出したいと思います。

年長さん。

元気に小学校へ、いってらっしゃい。

 

 

園長    伊勢 千春

 

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忙しい時こそ気分転換!

2月も残り一週間となり、来週末からはいよいよ3月を迎えます。

年度末にさしかかっていることもあり、仕事も多忙化してきました(汗)。私ですらこうですから、担任のことを考えたらそうとうな仕事量になっているだろうと推測します。まさに踏ん張り時です!

やらなければならないことは山ほどあり、今日もどれからこなしていこうか頭の中で整理していましたが、ふと今日のこの春のような暖かな気候と、黄色帽子の年少さんが2クラス揃って隣の風の子公園に出かけたのを見て、私も春を感じにどうしても出かけたくなってしまいました(笑)。担任が発行しているクラスだよりでは、風の子公園に春探しに行ってきた話、梅の花やふきのとうなどを子ども達が見つけた話などを読んで春が近づいてきているのだなーということは感じていました。しかし、ここ最近、自分自身で風の子公園の空気や春の訪れを体感していなかったし、まあ、こんな多忙な時だからこそ、リフレッシュと気分転換を兼ねて…と思い立ち、年少さんの後を急いで追いかけました。

行ってみると、まず椿の花や梅の花が咲いているのを見つけました。

そしてようやく年少さんに追いつくと、子ども達は梅の蕾や咲いている花を教えてくれたり、「いいにおいがする」と花の匂いをかいだりはしゃいでいました。

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年少さんから少し離れた見晴らし台のあたりではふきのとうを見つけました。

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枯草の中から顔を出し周りの土を掘って採ろうと思いましたが、けっこう根強く、生命力を感じました。手にとってみるとすでに春の匂いが漂っていました。

最後にお花見広場へ。桜の蕾の様子をみて帰ろうと立ち寄ってみました。桜の蕾は遠目からはまだ色づいていませんでしたが、近づいてよく見てみると、ぷっくりしてきているもの、うっすらピンクがかった蕾などもちらほら。散策にいらしていたご近所の方も「この時期でこんな様子なら、今年の桜は例年より少し早いかもしれませんね~」とおっしゃっていました。

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お花見広場に向かう道のりでは、森の中から鳥のさえずりがきこえてきました。最初は1羽かと思っておりましたが、足を止めてよーく耳を澄ましてみると、2~3羽の鳴き声がしており、まるで小鳥同士がお話をしているかのようなさえずりでした。鳥の姿が見られないかと目を凝らし、さえずりのする方をみてみましたが、残念ながら姿を見ることはできませんでしたが、とても心地の良い時間でした。

園に戻ってからも、なんだかんだで実際デスクに戻ったのは午後になってしまいましたが、その後の仕事はかえってはかどり、今こうしてHPのアップに至っております。

今日の風の子公園は日差しも暖かく、上着を脱ぎたくなる気候でした。

自分の肌で、目で、嗅覚で、そして耳で春の訪れを実際感じることができたことが今日の大収穫でした。あ、そうそう。今日の収穫と言えば、今晩のおかずに…でもこれだけじゃ足りないっか(笑)。

DSCN0076 園長    伊勢 千春

 

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誕生会講話『考える力』より

本日、2~3月生まれの子ども達の今年度最後の誕生会を行ないました。

年6回の誕生会では、お越しいただいた保護者の方にお時間を少し頂き、お話の時間を設けています。

毎年テーマは、私が個人的に今気になっている事や皆さんと一緒に考えてみたいことなどを取り上げており、今年は『自分で考えて行動する力』をテーマとしました。

近年、研修会等に参加すると、大人からの指示待ちの子が増え、大人の指示がないと動けない子が増加傾向にあるというような話をよく耳にします。そうした傾向から自分で考えて行動する力が減っていると言われており、その背景には、大人が言いすぎたり、子ども自身が考える前に大人が正しい方向に向かわせようとし答えを先回りして出してしまったりしていることが関係しているのではないかと言われています。もしかすると、大人が子ども達の考える機会を奪ってしまっている可能性があるかもしれないのです。もちろん正しい答えにたどり着くのは大事ですが、そこに向かうまでに多少時間がかかり遠回りになっても、自分で考えたり見極めたりしながら答えにたどり着くその過程も大事なことだろうと思います。

昨年、ノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学の本庶先生が、子ども達へのメッセージで「教科書に書いてあることを信じるな。本当はどうなのかという視点を持ち、自分の目で判断し納得することが大事である。」とおっしゃられておりました。決して教科書なんかいらないということではなく、教科書に書いてあることが全て正解だと思わずに、自分で見分ける目を持つこと、考える力、判断する力を持つことの必要性を伝えているのではないかと思いました。

そして、昨年5月に亡くなられた絵本作家のかこさとしさん。代表作には『だるまちゃんとてんぐちゃん』『からすのパンやさん』などがあり、皆さんも一度は手に取られたことがあるのではないでしょうか。以前一度書き記しましたが、かこさんは作品を創る時「子どもであっても自分の考えを持ち行動できるよう、絵本を通してお手伝いしていくことが自分の使命」とお話されており、その部分を大事にして絵本作りをしているとのことでした。そして子ども達へのメッセージとして「見分ける目を自分で持て。大人の言うことだけを聞いてちゃダメ。」これはかこさんが戦争から学んだことだと言われています。かこさんの絵本にはそんな想いやメッセージが詰まっていたのです。そこで、講話の中でかこさんの絵本の中から2冊ご紹介をさせて頂きました。

一冊目は『だるまちゃんとてんぐちゃん』

だるまちゃんはてんぐちゃんの持っているうちわや帽子、履物をうらやましく思い、家に帰って「てんぐちゃんのようなものが欲しい」とだるまどんに話します。だるまどんもたくさんの種類のカラフルなうちわや帽子などを用意してくれますが、だるまちゃんにはどれもしっくりこず、いろいろ自分で考えているうちにいいことに気がついたり思いついたりしながら、工夫して自分が納得するものを見つけ出すという話です。うちわにはやつでの葉、帽子はお椀、履物はまな板をヒモで足にくくりつけて、てんぐちゃんの下駄に近づけてだるまちゃんは満足します。

二冊目は『からすのやおやさん』

からす達が森にやおやをオープンさせますが、同じ野菜を同じ値段で売っても、小ぶりなものは売れ残ってしまうため、値段を下げて販売すると完売に。そして初めは店の名前や看板もなかったけれど、もっとお客さんが来るように店の名前を考え魅力的な看板も作成。だんだん周知はされていくものの、果物がなかなか売れないため、また知恵を絞り値段を下げずに売れる方法を模索します。そこで考えついたのが、果物にいろいろな顔を描き、楽しい果物にしてみると、それが評判となり大繁盛するというお話です。この絵本のあとがきにかこさんはこう記しています。『野菜や果物を売るとき、周りの状況で数と値段が少しずつ変わります。特にお客さんの望みや要望がなんであるかをいつも考えること、そしてたくさん売るには絶えず工夫することなど、こうしたことは商売や物を売買する仕事の大事な要点で、子どもが大人になって社会に出た時、必ず考えなくてはならない経済の基本に関係してきます。ですからどうぞいろいろ考え、楽しみながら読んでください。』

この二冊の絵本から子ども達へ伝えたいメッセージがたくさん詰まっていることを改めて感じました。そしてこれは大人へのメッセージも含まれているのではないかと勝手な解釈をしていました。それは、ともすればお椀を帽子にしたりまな板を下駄にしたり、果物に顔を描いたりすることは、大人から見れば肯定されないことかもしれません。ですがこの絵本の中ではそれが成り立っています。初めから否定するのではなく、子どもが考え出したその発想や想像力、工夫する力や創造する力をまずは認め、子ども自身の考え出した満足する答えを受け止めるという寛容な心を持つことが大人にも大切…ということを言われている気がしてなりません。大人ももっとユーモアを持った目で子どもに寄り添う姿勢があってもいいのかもしれません。その過程を経て、お椀やまな板に替わるものを子ども自身がさらに工夫したり創作したりしていければよりいい答えに出あえるかもしれませんね。

私が読んでいた教育本に『考える力とは、能力ではなく「習慣」によって身につく。だから考える力を育てるには考える機会をたくさん作りだしていくことに尽きる。』と書いてありました。考える力が習慣によって身につくのだとしたら考える機会をたくさん創りだしていけばいいのです。大人が先回りせずに…。

そして講話の最後に、昨年参加したスウェーデン教育セミナーの話に少し触れました。スウェーデンをはじめとする北欧は世界でもトップレベルの学力を誇っていますので大変興味がありました。その研修では幼稚園から大学までのスウェーデン教育についての話がありました。スウェーデンの幼児期に大切にしている事。それは自然と関わること、森や土と関わることだという話があり、めるへんの教育の中でも引き続き大事にしていこうと再確認しました。その後の懇親会では、この日記念講演をされた東海大学名誉教授の川崎先生とお話する機会があり、その時川崎先生から「伊勢先生は今幸せですか?」と突然聞かれました。普段あまり幸せかどうかなど考えたことがないですが、不幸だとは思っていないし、毎日が充実しているので「はい。幸せです。」と答えました。すると「では、幸せになるには何が必要だと思いますか?」とさらに質問が!すぐに答えられずにいたら川崎先生がひとこと。「人はね、考えることで幸せになれる。考えることをやめたら人は幸せになれないんですよ。」とにっこり笑って立ち去られ、私は目からうろこでした。

ノーベル賞受賞の本庶先生や絵本作家のかこさとしさん、そして川崎先生。それぞれ専門分野は違えど、言っている大事なことはどれも皆共通していると後に気づきました。

子どもも、そして大人も、いくつになっても『考えること』で心豊かな生活を送ることができるのならば…。考える内容は楽しいこともあれば、時に悩んだりすぐに答えが導き出せないものもあるかもしれません。しかし、自分なりに考えて行動し、自分の認める答えにであった時には充実感や満足感、達成感などが得られ、それが自然と幸せに結びついていくのかもしれませんね。

 

 

園長    伊勢 千春

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劇あそびでの育ち

劇あそび旬間も残すところあとわずか。

現在、各クラス毎絵本をモチーフにしたお話の世界やオリジナルストーリーの世界を存分に楽しんでいます。

先週から私の朝の日課は、各クラスの担任から出される劇あそびのクラスだよりチェックです。忍者や動物が出てきたり、魔女や鬼、エンマ大王が出てきたりと大忙し!全クラスのおたよりを見ていると、どのクラスもストーリーが進んでいるのが分かり、子ども達がどんな成長をしているのかもみてとれます。しかし8クラス分のプリントを確認していると、ストーリーが多種多様なのでどのクラスがどうだったかごちゃ混ぜになることもあります(笑)。ですから、実際、時間のある時は少しでもクラスをまわってどんなふうに子ども達があそんでいるのかみるようにしています。

そんな中、年少かぜ組にひょっこり顔を出すと、担任が「あっ!園長先生風邪ひいているんじゃないかな?」と子ども達にひとこと投げかけました。この日このクラスは保育室が病院になっていたようで、たまたまそこに私が現れたという訳でした。突然の担任からの無茶振りではありましたが、これは患者を装った方がいいんだろうと私も空気を読み、「ゴホゴホッ。ゴホゴホッ。あーーーなんだか体がだるいし喉も痛い。頭もクラクラするなー…。」というと、聴診器をあてられ、喉をみられ、「こちらへどうぞ!」とベッドらしきところに連れて行かれました。左下のカラフルなパネルが病院のベッド、上から吊るされているのが点滴だそうで、右下の写真はそのベッドに寝かされ病院関係者に取り囲まれているところです(笑)。ただの風邪ひき…というよりは、もはや緊急大手術!という雰囲気に(笑)。

太い注射をあらゆるところに打たれ、点滴は3本、冷えピタはおでこと喉と脇の下あたりに4~5枚貼られ、風邪だったはずですが、なぜかなぜか人工呼吸ということで頬に吸い付かれ、口には酸素マスクに見立てたプリンカップのようなものを装着されました(笑)!

ベッドに寝かされてこんなにも手厚い治療を受けたのは人生で初めての体験☆

子ども達は本当によく見ているなーと感心。日常の経験や目にしたものがそのまま劇あそびの中で再現されているのです。クラス担任だった頃、『劇あそびとは、小さな真実を積み重ね大きな嘘を創る』と教わりました。一見聞くとどういうことだろう…?とすぐには理解しにくいですが、例えばこのクラスを例に挙げれば、熱が出てお母さんに看病してもらった経験、病院にいって点滴や注射をされた経験が小さな真実であり、それらをあそびの中で繰り返し積み重ねていくことで、現実の世界とは違う想像の世界、お話の世界を楽しめ、フィクションの世界が出来上がる。これが『大きな嘘を創り上げる』ということなのだろうと思います。劇あそびとはそういうことを楽しむものなのです。

子ども達がなりきっている様々な動物も、どんな鳴き声かどんな動きをするのかその動物特有の特徴を丁寧に捉え表現していくことが小さな真実を積み重ねることになります。その小さな真実を積み重ねることが表現力を伸ばし、大きな嘘を創り上げることが想像する力を伸ばすのです。表現する力はなにも身体表現に限ったことではなく、言葉での表現にもつながります。想像する力が伸びていくということは、思ったことを周りに伝える力、友だちが発したアイディアや想像したことを聞く力、聞いたことを頭の中でイメージする力などにつながっていきます。頭の中で想像の世界が膨らんでくるとそれに必要なものを作りたくなったり、もっとこうしたらいいんじゃないかという発想が生まれたりしていき、自然と工夫する力や考える力も育っていくのです。

 

そしてめるへんで行なっている劇あそびの面白いところは保育室の中だけであそんでいないところ。

廊下やホール、他クラスや風の子公園…自分たちを取り巻く全ての環境が劇あそびの舞台なのです。これほど様々な舞台で劇あそびを繰り広げられるのは、めるへんっこ達の他にいないのではないでしょうか。こんな状況であちこちを飛び回りながらお話の世界を楽しんでいる子ども達なので、他クラスのしかけが自分のクラスのお話のスパイスになることもあったり、それを機に話が急展開することになったり。だからこそ、台本は必要ないのです。その時突然出てきた子ども達の発想や表現のどれを拾い、どんなふうにお話の世界に取り込んでいくか。そして物語の流れを整理し、子ども達に伝え、クラス全体で共通理解をはかっていかなければならないので、担任の力量も問われるのです。台本やマニュアルがないため、その場その場の対応力も必要であり、子ども達の発想やつぶやき、アイディアを埋もれさせてしまわないようにする…かなり高度なことだと思います。このように個々の思いが受け入れられるので、子ども達はやらされ感がなく、失敗や間違いもないからこそのびのびイキイキと活動できるわけです。毎日先生達も様々なものに変装し、なりきり、子どもと同じ目線になって一緒に楽しむ。だから担任の大変さとは裏腹に、子ども達は楽しいのだと思います。

ステージでの発表が観たい、写真の販売をしてほしい等のご意見をいただくこともたまにありますが、このように劇あそびが繰り広げられていますので、双方とも難しいことをお察しいただければ幸いです。その分自信を持って子ども達の成長に欠かせない表現力や会話力、想像力や工夫する力などがこの劇あそび旬間中に間違いなく育っていると思っています。育ちの大きさ、スピードはひとりひとり違っても個々が得られるものは必ずあると思っています。だからこそ、このスタイルにこだわり、教育活動として取り入れています。劇あそび旬間は終了してもこの二週間で育った力が今後の保育にもつながっていくことを期待します。

 

~最後に笑えるおまけの話~

劇あそび旬間中のある日の帰りのバス待ちの時間・・・。

年長YちゃんとKちゃん 「園長先生、見て!魔法のステッキ作ったんだよ。魔法かけてあげる?」

私 「じゃあ、お願い!」

Yちゃん・Kちゃん 「かわいくなーれ」「きれいになーれ」「モデルみたいになーれ」「メイクがじょうずになーれ」

ステッキをクルクル動かしながらこの4つの魔法を何度も何度も繰り返しかけてくれました。

私 「Yちゃん・Kちゃん、魔法は十分効いたからもう大丈夫♡素敵にしてくれてありがとう♡」

Yちゃん・Kちゃん 「だめだめ!まだまだ足りない!えんりょしないで☆」

Yちゃん・Kちゃん 「かわいくなーれ」「きれいになーれ」「モデルみたいになーれ」「メイクがじょうずになーれ」……

私 (ええぇ~!?私そんなにダメぇ?!)←注意!!これは心の声 ※心の中で一人大爆笑

そしてこの魔法はYちゃん・Kちゃんがバスに乗り込むまで続いたのでした…(苦笑)。

 

 

園長    伊勢 千春

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恩師からの最後の学び

私には中学1年生から現在まで繋がっている先生がいます。

中学校3年間の体育を教わり、中1の時には担任もしていただいたT先生です。中学を卒業してからお会いする機会がなかったものの、年1回の年賀状のやりとりはいまだに続いておりました。そしてT先生の娘さんとも仕事を通してつながりがあり、直接的に会っていなくても身近に感じられる存在でご縁を感じておりました。

そのT先生が先日亡くなられたと情報が入りました。

悲報をうけたのは出勤前の朝食中で、こんなにも涙が出るものかというくらい涙があふれ、出勤する前から人にみせられないひどい顔になっていました。数日前からT先生がだいぶ弱ってきているという話を聞いていて、我が家の食卓の席でもその話題が出ていたこともあり、「T先生が亡くなった」とひとこと発し、滅多なことがない限り涙を流さない私が、しゃくりあげながら朝ごはんを食べている姿を見て、家族も状況を察したらしくなにも声をかけずにいてくれました。

 

私は、小さい頃から面白いことやいたずらが大好きで、かなり手のかかるやんちゃな子どもでした。母の手を相当煩わせていたという話は、私が大人になってから嫌というほど聞かされました。

幼少期のなごりが中学生の頃もまだ少なからず残っていたのでしょうか。

T先生との思い出と言えば、ある日の放課後「こらー!千春ちゃん!待ちなさいっ!!!」とT先生がすごい勢いで向かってきたので、体育館の更衣室の窓をとび越え自宅まで走って逃げたことがありました。どうしてT先生が追いかけてきたのか今となっては全く覚えていませんが、すごい勢いで先生が追いかけてきたことだけは鮮明に覚えています。それがT先生との一番の忘れられない思い出です。(今のこの時代にこんなことをしている中学生はいるのでしょうか…(汗))この時の光景が今でも頭に焼き付いています。体育の先生で足も速かったので、必死で逃げ、そのことが私の中では相当楽しかった思い出として記憶に残っています。こんな状況なのにT先生との楽しかった思い出…なんて言っていること自体、今となっては本当に先生に申し訳なかったと反省しています。

T先生は背筋がすっと伸びて姿勢がとてもよく、小柄でしたが威厳があり、注意する時は厳しくビシッ!!と身が引き締まるような雰囲気がありました。しかし普段は大変明るく朗らかで、笑う時は大きな口を開けて豪快に笑い、そんなT先生が私は大好きでした。

 

中学時代の同級生にも連絡を入れ、葬儀にはバスケ部仲間4人と一緒に行ってまいりました。みんな仕事を持っていて忙しい中、しかも急だったのにもかかわらずT先生に最後にお別れしたいとみんなの顔が揃いました。葬儀に行くと、当時同じ中学校で、私も数学や英語、バスケ部顧問でお世話になった先生方もいらしていて、30年以上ぶりの再会でした。

一気に中学時代の思い出がよみがえり、葬儀の後、当時の話が少しできました。ここにいらしていた数学のJ先生からも当時授業中にきっとおしゃべりでもしていたのでしょうが、よくもみあげをグリグリとひっぱられ、おかげさまでわたしのもみあげのあたりはツルツルでした(苦笑)。今ではこのような話は大きな声で言えるものではなくなっていますが、当時の私はそれもまた楽しんでいたように思います。先生にお会いしたのも30年以上ぶりでしたが、その思い出をJ先生に話すと、先生は「えーっ?! 俺、千春の事怒ったことあったか~?!」と大変驚いていました。

同級生達とは、「今思えば、うちらあの時、先生達に悪かったなーってこときっとたくさんしてたよねー。先生あの頃はごめんなさいって今なら素直に言えるよね。」と話していました。この日一緒に行った同級生の中には現在中学校や高校の先生をしている友人もいたので、大人になった今なら先生側の気持ちが痛いほどよくわかるねと話していました。

お焼香の時に近くで見たT先生の遺影のお顔は穏やかに微笑んでいて、またまた号泣してしまった私ですが、ちゃんと感謝の気持ちは伝えることができました。この時いらしていた当時の先生から聞いた話では、体育の先生だったT先生は、生徒の前で見本の倒立ができなくなってしまったことが理由で、55歳の時に早期退職したと聞きました。口頭での指導が中心になる先生はいくらでもいて、まだまだ教師を続けることはできただろうに、T先生は最後まで自分の信念を貫き、生徒に真摯に向き合っていた先生だったと。

中学卒業後、30年たった今、楽しかったことも先生をちょっぴり困らせたことも含め、懐かしい思い出として振り返ることができました。そして懐かしい先生方にもお会いでき、大人になった今、当時の先生方の想いに触れたり、仕事への向き合い方を知ることが出来たりしたのも、T先生のおかげです。そして当時の自分たちの行動を振り返り、今ようやく先生方から卒業できたような気がしていてT先生がこのような時間に巡り合わせて下さったように思います。

そして体育の先生としてのT先生のプライドや仕事へ向き合う真摯な姿勢は、中学校と幼稚園という違いはあるものの、子ども達へ向き合うという意味で同じような立場にいる私にとっては、今後の幼児教育への向き合い方を考える意味でもT先生からの最後の教えとなりました。

T先生は最後の最後まで、やっぱり私の先生でした。

 

新しい年が始まったばかりの悲しい出来事ではありましたが、新しい年にふさわしく、また一から気を引き締め頑張ろうと光もみえた出来事となりました。

 

 

園長    伊勢 千春

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