2024年03月14日
3月14日
本日、93名のかわいい年長さんがめるへんを巣立っていきました。
今年の年長さんが入園した頃は、ちょうどコロナ禍真っただ中で、社会全体が不安に包まれている時でした。そんな中での集団生活でしたから、きっと保護者の皆さんも園生活に対して心配や不安が大きかったのではないかと想像します。
私達も、このような状況下であっても、健康や安全に配慮しながら、いかに子ども達を楽しませられるか、いかに子ども達が人との関わりを持ち、幼児期に経験すべき遊びや体験ができるか…それだけを考えて教育に向き合ってまいりました。
年長児にとっては園生活最後となる一年。
昨年5月にコロナが5類になったということで、マスクを外してくる子ども達が格段に増え、ようやく子ども達の表情を見ることができた年でもありました。
笑った顔、怒った顔、泣いている顔に嬉しそうな顔…。子ども達ひとりひとりのいろいろな表情にであえました。「○○ちゃんはこんなふうに笑うんだー」「○○君はあんなに一生懸命顔を赤くして頑張ってるなー」「あ…今○○君は怒っているみたい。どうしたのかな」などこれまで見えづらかった子ども達のたくさんの表情にであえました。表情が見えることで、こんなにも子ども達をいとおしく思えるのだということにも改めて気づいた一年でした。
表情は人とコミュニケーションをとる上で、欠かせないものでもあります。なにか小さなトラブルがあった際にも、よく子ども達には「お友だちの顔を見てみて。喜んでる顔してる?それとも悲しそうな顔してる?」と聞くと「悲しそうな顔してる」と年少さんでもわかります。「そうだよね。悲しそうなお顔してるよね。ということは、○○されて嫌だったんじゃないかな」と子ども達との橋渡しをする時にも、よくそんな対応をとっています。まだまだ相手の心までは読み取れなくても、表情から心を読み取ることは年齢の小さな子ども達でもできるのです。
マスクから遠ざかった今年度は、そのような意味で表情を通して友だちとのコミュニケーションもたくさんとることができた一年になりました。
そして今日、卒園証書を受け取った年長児ひとりひとりの表情は自信に満ち溢れたものでした。
卒園にあたって、年長のある女の子が、「勉強は一人で頑張れるけど、友だちを作るのは一人ではできないこと。だからKは小学校に行ったら友だち作りを頑張りたい」とおうちの人に言っていたそうです。
たくさんの友だちとの関わりを幼稚園で学んだからこそ、こんな心も育ったのかな…と思うと毎日の保育も報われる気がします。そして、そんなことに気づけるまでに子ども達ひとりひとりの心が成長したのだなーと思うと何だか胸がいっぱいになります。
友だちを作る力、仲直りをする力、頑張る力に自分でいろいろなことができる力。
自分の力で頑張らなければならないこともこれから先たくさん出てきますが、ひとりでは成し得ないこともたくさん出てきます。幼稚園の生活の中で、表面にはなかなか見えない心の根っこの部分が少しでも育ってくれていたら嬉しいです。
そしてこれから子ども達は、新しい場所で新しい風にふれながら、まかれた種から芽を出し成長していきます。
おひさまの光をいっぱい浴びて、土から栄養をたっぷり吸収して成長していくことでしょう。暑さや寒さ、時には大風や大雨にさらされることがあるかもしれません。それでも、その芽が踏ん張って、ゆっくりでいいからその子なりのペースで伸びていけることを願っています。
そして子ども達のこれからが、明るく平和な未来であることを切に願います。
園長 伊勢 千春
2024年03月05日
3月に入りました。
年長さんの卒園、そしてその他の学年の子ども達の進級を、いよいよ実感する月になりました。
どの学年も今はクラスや学年の総まとめの時期です。
年長さんは、卒園式の練習も頑張っているところです。卒園式はひとりひとりの最後の幼稚園での姿になるわけですから、子ども達も年長の担任にとっても気が引き締まる思いです。その傍ら、少しでも幼稚園の楽しかった思い出を作れるようにしていきたいという思いもあるため、バランスをとって卒園までの日々を過ごしていきたいと思っております。
年少さんや年中さんも新年度になるとクラスや担任がかわるため、現在は担任交換をしてみたり給食の時間にはクラスを解体して違うクラスの友だちと食べてみたり。風の子公園の園外保育に出掛ける際も隣のクラスの友だちと手をつないで歩いて行くなど、同じ学年同士でクラスの友だちの枠を外した活動計画を立てながら、スムーズな進級ができるよう配慮しています。
3学期は有志のお母さんたちで構成されている各サークルの皆さんも大活躍でした。
一年を通して子ども達にたくさんの『お楽しみ』を用意して下さり、楽しませて下さいました。
バレーボールサークルの皆さんは『めるへんたいむ』のコーナーに参加し、体を使ったあそびのコーナーを企画して下さり、たくさん子ども達とあそんでくださいました。コールめるへんさんは、卒園していく子ども達を送り出すのにぴったりな歌や子ども達が知っている歌をステージで披露して下さり、お母さん達と子ども達の素敵な歌声がホールに響き渡りました。絵本サークルさんは、年長さんが大好きだった『エルマーのぼうけん』の絵本をモチーフにした劇や1年生の教科書にも載っている『サラダでげんき』の劇などを演じて下さり、子ども達にたくさんのメッセージを伝えてくださいました。そして物づくりサークル、はんどあんどはあとさんは子ども達にいつも手作りのプレゼントを作ってくださったり、卒園式で年長児が身に付けるコサージュを全て手作りして下さったり。挙げたらキリがないくらいたくさんの想いを子ども達に向けて下さっています。
それは、サークルさんだけではありません。親父の会のお父さん方も、年2回の『お父さんとあそぶ会』の企画から当日の運営進行、そして芋ほり体験時のお手伝いや節分行事の鬼役、子ども達には秘密の年長児お泊り保育キャンプファイヤー時の火の神などたくさん子ども達のために尽力してくださいました。
当園はこうしてたくさんの保護者の皆様に支えられて、子ども達がスクスクと健やかに成長していることを日々感じます。
共働き世帯が増えたり大人だっていろいろな事情があり忙しい世の中になってきたりしているものの、こうしたお父さんやお母さん達の活動はやっぱり子ども達の成長には欠かせないものだと実感しています。いつの時代であっても、保護者の皆さんが我が子だけでなく、園に関わること、子ども達に関わることは、幼児期の子ども達の成長により良い影響を与えていると思っています。そして園と保護者とが一体となってこのような環境を作っていくことをこれからも大切にしていきたいと改めて思っています。
たくさんの『ありがとう』が溢れる3月。
一日一日をかみしめながら保育にあたっていきたいと思います。
園長 伊勢 千春
2024年02月14日
先日、自宅ポストに入っていたフリーペーパーに『子どもが描く未来・理想の家』というタイトルで絵画が2枚表紙に載っていました。子どもが自由な発想でこんな家があったらいいなという想像画でした。
めるへんでも絵画活動はもちろん行っており、年長になると『想像画』として『こんな乗り物あったらいいな』とか『魚の王様ってどんなかな』など、想像を膨らませながら楽しめる造形活動を行っています。クレヨンや絵の具を使って自由にのびのびと絵画活動を楽しめたらいいなという思いです。
そして、このフリーペーパーの表紙に載っていた二枚の絵と解説などを目にし、ふと作品の名前に目をやると、「あれ?これはめるへんの○○ちゃん?!」しかももう一枚の絵は「ん?!こちらは卒園生の○○君…?!」と二枚の絵がめるへんの在園児と卒園生?という驚きでした。
今年度は八木山動物園の作品展にも応募し、表彰された年中男児もおりました。もしかすると、もともと絵画活動が得意だったり描くのが好きな子だったりということがあったかもしれません。しかし、自由応募で描いてみたい、やってみたいと思うこと自体素晴らしい事ですし、それに寄り添って応募までの段取りを進めた親御さんも素敵だなと思います。
誰にでもそれぞれ得意なこと不得意なこと、好きなことや苦手なことがあるはずです。
当園の先生達の中にも絵やイラストがとっても上手な先生もいれば、文章を書くことが好きな先生もいます。ピアノが得意な先生もいればピアノは苦手だけど体を動かす運動あそびが得意な先生もいます。当然と言えば当然のことで、それぞれに得意分野や不得意分野があるのが当たり前でしょう。先生達を見ていると、ピアノが得意、イラストが得意、裁縫が得意だったり運動神経が抜群だったり。「○○先生と言ったらこれ!」というそれぞれ得意分野があって羨ましいな~と数年前に感じたことがありました。私の得意なことってなんだろう…私の個性ってなんだろう…と考えた時に得意なことや人より秀でていることが悲しいことに何も思いつきませんでした。以前一緒に勤めていたM先生も作り物がとても得意で自分で作ったブラウスを着て出勤したこともありました。ですからそんな先生達を横目に、私の得意なことって…とふと考えた時にひとことで言える得意なことが何も思いつきませんでした(涙)。私はこれといって得意なこともなければ個性もないのかも…ということを、ぼそっとM先生につぶやくと、「え…?千春先生なんて個性の塊じゃない」と言われてびっくりました。「え?どうして?人と比べてなにも秀でたところがないのに?!」と。しかしM先生と話をしていて、個性とは決して他の人と比べて秀でている部分があるということだけではないということに改めてその時気づきました。
得意なことにかかわらず、その人の持っている雰囲気だったり考え方だったりふるまいや行動だったり…全て含めて個々の『個性』といえるのですよね。
以前、当園に在籍していたMちゃんとお母さんはお魚に詳しく、特にグッピーにとても詳しくて、幼稚園にも飼育物として自宅で育てたグッピーを分けて下さったこともありました。私はMちゃん親子を「グッピー博士」と呼んでいろいろ教えてもらっていました。その当時「先生も何かの博士になりたかったな~(過去形)」とMちゃん親子につぶやくと、Mちゃんママから「え…?園長先生だって【めるへん博士】じゃないですか」と言われたことがありました。「誰よりも長くめるへんにいて、園長先生に聞けばめるへんのことはなんだってわかるじゃないですか」と言われたことがあり、目から鱗でした。「私がめるへん博士?!そうなの?!もしそうだとするならば、『博士』の名に恥じないように、もっともっと子ども達を見て、先生達を見て、保育も極めなければ」とやる気がますますみなぎったものでした(笑)。お恥ずかしながら何とも単純です…。
そういえばめるへん博士でふと思ったことがありました。私はこれまで「できれば○○を続けてみよう」とか「今日から○○を実践してみよう」と様々なことに興味があり、やってみたいという意欲や実際取り組んでみる行動力は多々ありました。しかし、これがなかなか続かないのです…。今回は絶対こうしようとかこれを頑張ってみようと思って勢い勇んで取り組み始めても、本当にごく短期間(数回)しか続かず、長続きしない性格で、それは家族には十分周知の事実です。自分でもかなり自覚はあります。だから「次は絶対!」とか「○○やってみようかと思って」という話を家族にすると「絶対無理だって。自分が一番よく知ってるよね」と取り組む前からピシャリと言われるのがオチなのです。
しかし確かにめるへんだけは、気がそれたことが一度もありません。もちろん落ち込むことも悩むことも多々ありますが、毎日が学びで、次はこうしようと決めたら絶対やりこなしたいし、問題を試行錯誤しながらなんとか解決したいし、楽しいことは皆とも共有したい…そうこうしている間に気づけばここでの生活だけは相当長い年月が経過していました。こんなに長続きしない自分がです。
大人も子どもも興味関心の向きどころは人それぞれ違いますし、得意なことも不得意なことも、好きなこともみな違います。だからこそそれが『個性』なのですね。自分の物差しも塩梅も人それぞれ。「みんなちがってみんないい」という言葉を聞きますが、その通りだなと納得です。
私も、人より秀でた特技などは全くありませんが、めるへんへの興味、幼児教育への関心は大きく、だからこそ長く続けていられるのかなと思うと、それが私の個性の一部として自分自身を受け止めていきたいなと思っています。
子ども達も私達大人もそんなひとりひとりが持つ個性を自分自身も受け止め、他の個性も受け止めていけたら、皆が補い合い輝けるのでしょうね。
園長 伊勢 千春
2024年01月25日
めるへんを代表する教育活動のひとつ『劇あそび』の二週間が終盤を迎えます。
保護者の皆さんが『劇』と『劇あそび』の違いをイメージするのはなかなか難しいため、この時期毎年劇あそびについて触れています。
皆さんご承知の通り、台本があってひとりひとりの役が決まっていて、観客にみてもらうために練習するのが『劇』ですが、『劇あそび』は台本無し、なりたいもの(役)はそれぞれ自由、発表するものではないため練習の必要なし…それが劇あそびです。
保護者の皆さんからすれば、かわいらしい衣装やその役に見える衣装をきて、舞台に上がる我が子を見たいという思いもあるかもしれませんし、舞台で立派に自分のセリフを言って役割をこなすという行動も、ある年齢になれば必要なことかもしれません。しかし、幼児期にとって必要なあそびの中の学びとは…と考えた時に、想像力や創造力、表現力や工夫する力、自分の思いを伝える力に人の意見や発言を聴く力…様々な力が養われるのが劇あそびなのです。だからこそ、当園で長きにわたってこだわり、大事にしてきた教育活動のひとつとなっているのです。
例えば『桃太郎』というひとつの物語がベースになっていても、実際のお話に出てくる動物に限らず、なりたい動物になったり、鬼を退治する方法を皆で考え、作戦を立て、失敗したらまた作戦を練り直したり。鬼の住んでいる家(鬼ヶ島)を段ボールや机、いすなど身近なものを利用して作ったり自分のなりたい役に見えるよう身体表現をしながら、お面や小道具をつくったり。とにかく劇あそびから芽生える子ども達の発想力や想像力(創造力)は果てしないのです。
先日、いつも子ども達の降園時間に、廊下やトイレの清掃をして下さっているTさんが、「この時期のお掃除は難しくて(笑)」とおっしゃっていました。ゴミに見えるような紙屑が廊下に散らばっていると「それは○○に仕掛けた罠だから」と掃き掃除しないようにお願いされたり「これは…必要なものかな…?」と思うと案外そうでもなかったり。この時期の清掃は、まるで園内の鑑識をしているみたいだと(笑)。
この時期の保育室や廊下は、私達大人から見ると本当にまるでゴミ屋敷や荒らされた廃墟ように見えることもしばしば(苦笑)。昨日はたまたま来客があり、保育室を一緒にまわらなければならない状況で、様々なものが散乱している保育室と興奮しながらのめり込んであそぶ子ども達の勢いに冷や汗ものでした(笑)。そして来客をご案内していた私自身もトイレに潜んでいたカニに扮した年少S先生に「ぎゃあ~!」と驚いて声を出してしまったくらいです。(←本当はかわいいカニだったのですよ♡)大人が思う綺麗さや整えなど目に見える形に縛られないのが子ども達。綺麗だの汚いだの見た目の形なんて、劇あそび中の子ども達にとっては全く関係なし。むしろ散らばっている紙屑を「誰かの仕業かも!」と想像を掻き立てたり、悪者に仕掛けた罠にする工夫につながったりしているわけですから、そう考えると、見た目のきれいさやいかにも形が整えられている環境では、もしかすると逆に想像力や工夫する力が半減…なんていうこともあるかもしれません。
毎年のこの劇あそびの二週間は、先生達も子ども達のそんな世界観にどっぷりつかり、子ども達のアイディアや工夫をひとつひとつ救い上げながらあそびを構成していくわけですから、毎日が疲労困憊するわけです。もちろん中にはなかなかお話の世界にすんなり溶け込めない子だっていますし、登場する鬼や魔女が怖くてドキドキする子だっています。そんな個々の想いをどう救っていくかということも私達の大事な役目になってきます。意見やアイディアをたくさんだす子もいれば、それなりに見えるように黙々とモノづくりにいそしむ子もいたり、これまであまり関わりがなかった子とも意気投合して想像の世界を楽しんだり。このように個々の個性がキラリと光り、あそびのバランスが保てることもあれば、この子にこんな一面があったのね!とこれまで眠っていた力が開花し、驚かされることもあります。
だからこそ、先生達も確実にこの劇あそびという活動を通して、子ども達の育ちが大きく変わることを実感できる二週間となることは間違いないはずです☆
そんな劇あそびはきっと子ども達にも先生達にも大きな収穫を残してくれると思います。子ども達の育ちに少しでも彩が加わり、次につながっていけたらいいなと思っています。
そんな今日はかなりの積雪。
大雪の中、朝早くから預かりに入ってくれたM先生や日直のC先生。早朝から雪かきをしてくれていた技能主事のNさん、Mさんはじめ先生達。雪道を安全に子ども達を園まで送り届けてくれた運転手さんや添乗員さん。保護者の皆さんも小さな子ども達を連れてバス停までの道のりや園までの送迎は大変だったと思います。皆さんのおかげで今日も子ども達が劇あそびや雪あそびを存分に楽しむことができました。ありがとうございます。
早朝から園をはるかに超えて歩道の雪かきをしてくれた先生達でしたが、保育時間前に相当体力を奪われたのではないかと気がかりでしたが、今日もめるへんの先生達はそりあそびに大きな雪だるまづくり、そして劇あそびにと元気はつらつでした☆
たくさんの小さなことに感謝しながら、また明日を楽しみにしたいと思います。
園長 伊勢 千春
2024年01月11日
新年、あけましておめでとうございます。
2024年がスタートしました。
皆さんご承知のように、今年の幕開けは能登地方の地震や羽田空港の飛行機事故など、心落ち着かない年明けとなりました。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
私も東日本大震災を経験しているため、とても他人事とは思えず、大変さが手に取るように分かります。一日も早く地震活動が落ち着き、復興が進み、日常の生活に戻ることができるよう祈るばかりです。
今回、新しい年が始まったということやお正月という普段よりも少し時間のある中で、このような出来事が続き、私もいろいろ考える機会となりました。やはり、天災はいつどこで起こるか分らないため、身を守るための心構えや具体的な対策など、今一度自分自身に様々なことを問いかけてみる機会になりました。職業柄私達は小さな子ども達と関わる身として子ども達の命を守るために万が一に備え、訓練を怠らないことや、実際起こった場合どのように対応するかなどの具体的なシミュレーションを日常から行っていきたいと改めて思ったところです。
私も東日本大震災時に感じたことは、こういうことを経験することによって、当たり前の日常がどんなに幸せなことなのかと痛感しました。
家族が元気でいること、温かい家があること、ご飯が食べられること、仕事があること。
大抵の人にとっては当たり前のことですが、この当たり前のことが今回のように突如できなくなることだってありますよね。新型コロナウイルスで生活が一変した時もそうでした。
日常の中で、人それぞれ不平や不満も少なからずあることと思いますが、それでもこの当たり前の生活ができることがどんなに幸せなことか、このような機会に実感します。特別大きな良い出来事がなくても、日々の生活の中で当たり前にできていることに目を向け、日常に感謝しながら今年も一年過ごしていきたいと感じた一年の始まりでした。
下の写真は先日出かけた時に見た夕日です。
ふと綺麗な夕日だなーと思って見ていたら、夕日を囲んで端と端に虹の始まりと終わりを発見!
綺麗な夕日を見たこと、虹の端と端を見たこと、この光景を見ただけで何だか温かい気持ちになり、良い一年になりそうだなとほっこりしました。
良い一年になるのも、そうでないのも、結局は自分自身の心の持ち方しだい、物事の見方や捉え方しだいということもある気がしてなりません。
だからこそ、こんな他愛もない日常の風景にも気付ける心のゆとりを持ち、小さな喜びで心を満たしながら、新しい一年も過ごしていきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
園長 伊勢 千春