園長室から

心に思うこと、その時感じたことをそのまま綴る、園長の徒然日記です。

子どもにとって必要なこと

先週、春の歩き遠足がありました。

お天気は最高。晴天で風もあり、心地よい気候の中歩くことができました。

場所は三学年とも隣の風の子公園でしたが、今の時期のこの学年ならこの距離は歩けるという目安を各学年ごとに立てて、ルート決定しました。

園だよりや遠足だよりなどでも各家庭に呼びかけをし、自分の荷物は自分で持たせてほしいこと、途中抱っこを求めてきたり、泣いたりしてもすぐに子どもの要求に応えてしまわず、頑張る励ましをしてほしいことなどを打ち出してきました。年少さんはちらほら泣いたりぐずったり抱っこをせがんだりする姿が例年と同じように見受けられました。それぞれの頑張る力はこれからグングン伸びていくわけですから、そんな姿はあって当たり前だと思います。私もあちこちのコースを周りながら様子をみたり、時に励ましたりしていましたが、保護者の皆さんが園で打ち出した内容をよく理解し子どもに寄り添って下さっていたなーという感想を持ちました。この一回の歩き遠足で子ども達の頑張る力が育つわけではありませんが、ひとつのきっかけとして、そして頑張れた!歩けた!というひとつの達成感として子どもに残れば次につながるはずです。そんな小さな自信や達成感をひとつひとつ積み重ねていけばいつか大きな形になると思います。

大事なのはそれができた時や頑張れた後にその姿勢をたくさん褒めてあげることだと思います。誰かに褒められたら、認められたら、それが大好きなおうちの人にだったら…と想像すると、子ども達がどんな表情になり、どんな心の動きがあり満たされるか。そんな想像をするとたくさん認めてあげたくなりますね。ただ「頑張れ頑張れ」と背中を押すだけでなく、やれたときには思う存分認めてあげられたらと思います。

 

話は少しそれますが、4才児を対象に我慢強さの実験を行った記事を最近読みました。『マシュマロテスト』という実験で、4歳を対象にマシュマロが一個のった皿を部屋の中に置き、大人は部屋を出て、15分間食べずに我慢できたらもう一個あげるという内容です。この実験で成功したのは3分の1しかいなかったとのこと。さらに我慢できた子とできなかった子のその後にどのような違いが生まれるのか生まれないのか継続して追跡調査をしていくと、我慢できた子達の方がしっかりと成績が伸び良好な人間関係を築けているとの結果が出ていたそうです。さらに興味深いことは、こうした我慢強さなどの非認知的能力は生まれつきのものではなく、生活の中で学習によって身についたり高まったりするとのこと。ですから、大人になって禁煙やダイエットにチャレンジしようとして途中でやめてしまったとしても、その人の意志が弱かった、我慢強さが足りなかったというより、 『幼いころから我慢の仕方を学んでこなかった』 ということになるという内容でした。

昨年の誕生会の講話でも話をさせて頂きましたが、私が読んだ本によれば 『考える力』 も、能力ではなく習慣によって身につくと書かれておりました。『考える力』も『我慢強さ』も能力や生まれつきでないならば、子ども達を取り巻く私達大人が、考える機会をたくさん与えたり我慢の仕方を学んだりできる環境を意識して創りだすことが大事なのだろうと思います。ということは裏を返せば、大人が先に答えを出してしまって子どもの考える機会を奪ってはいけないし、泣いているからとかかわいそうだからといって子どもに我慢をさせる機会を大人が奪ってしまってはいけないのです。もちろん時と場合によりますし、年齢によっても度合いが違いますからその塩梅を探りながら…ということが必要になってくるのかもしれませんね。

そんな意識を少しでも持って園と家庭とで子ども達に向き合っていけたなら、やがて大きくなった時の子どもひとりひとりの力として備わっていくはずです。そんな力が備わっていくように共に協力しながら子ども達に関わっていきたいと思っています。

 

さて話は遠足に戻りますが、子ども達の列を待つ間、めるへんのどんぐりの里を見てきました☆

時々このHPの『園長室』に登場している、風の子公園のどんぐりの木です。

10年以上前に当時在園していた子ども達が風の子公園で拾ったどんぐりを黒ポットで育て、育った苗木をまた風の子公園に戻したものです。風の子に戻したのが平成20年です。その時の苗木はまだ15㎝~30cmだったのに、今ではおそらく10mを超えているものも!2㎝にも満たないような小さな小さなどんぐりがここまで成長したのです。この話をするたびに私はひとり感動しています。そしてこのどんぐりの成長とめるへんの子ども達の成長をいつもいつも重ねてしまいます。

雨風にも、そして冬の寒さや夏の暑さにもさらされながら、こんなにも成長しているどんぐりの木のように、時に気持ちよく、時に踏んばりながら子ども達にも成長していってほしいと願っています。

 

 

園長    伊勢 千春

 

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平成と私

令和元年 5月7日

大型連休も明け、新しい元号になりました。

昭和から平成に元号が変わった時とは状況が違い、この連休中はテレビをつければ新しい元号へのお祝いムード一色でした。テレビなどでも平成を振り返る番組がたくさんみられ、ひとつの時代が終わり、新しい時代の幕開けという色が濃く出ていたという印象でした。

一時代が終わったのだなーと感じると共に、自分自身の平成という時代はどんなだっただろうかとふと思いました。

私は平成3年4月にめるへんの森幼稚園に入りました。当時は幼稚園の先生一枠の募集にでも、10名~20名程度の応募があるのが当たり前の時代でした。幼児教育に関する筆記試験から始まり、ピアノの試験ではその場で楽譜を提示され初見で演奏するというスタイルの試験もありました。現在は社会全般においても人手不足、保育士不足という言葉をよく耳にしますが、それと同様、幼稚園においても教諭不足が深刻です。募集一枠に対して1名くるかどうか…だから軽い面接だけで採用している保育園や幼稚園も多いようです。しかし、幼稚園という場所は幼児教育を行うところであって教育の質を損なわないようにするためには採用試験は重要で、いまだにそこは譲れない部分になっています。

平成3年から勤め始めたわけですから、30年近く、めるへんにいることになります。(※注意※ 歳は数えないで下さい!(笑)) そう考えると、ひとことで言って私の平成はめるへんと共に歩んできたということになります。その間に結婚をし母親になり…という大きな変化もあったわけですが、その部分においてもめるへんと共に歩んできたという印象です。現在高校3年生の娘を出産した時はまだ育児制度が整っておらず、出産後2ヶ月で復帰し、当時は大変でした。できるところまで続けて自分で無理だと思ったら離れようという思いで復帰したのですが、まさか今の自分など全く想像にもないことでした。現在は育休制度が整い、仕事を続けやすくなったものの、やはり幼子を育てながら幼稚園教諭を続けることはまだまだ大変だと先生達をみていて思います。

上記でもあげたように、私の平成という時代はめるへんなしでは語れませんし、めるへんに育てられた時代だったと思っています。

子ども達からも育てられ、保護者からも育てられ、園長先生や先輩先生、全てを含む周りの人達からの学びなくして今の自分はありません。

子ども達ひとりひとりの個性に出合い、声のかけ方ひとつをとっても100人いれば100通りの声のかけ方があることを知りました。面白いことや興味のあることには飛びつくし、つまらないことには背を向け飽きてくる。それが子どもの素直な表現であって、いかに魅力のある活動を取り入れていくか、いかに興味の惹かれる集まりにするか、担任時代は特にそんなことばかり考えていました。ですから、子どもの目線を中心に考え内容の吟味や活動の吟味をしていかねばならないことを子ども達から学んだと思います。知識としてどんなにたくさん幼児教育の勉強をしても、一般的な正しい知識を身につけてもそれが全く活かされないこともあり、子どもひとりひとりと向き合うには多様な受け止め方が必要であり、時にマニュアルから外れるようなそんな考え方も持ち合わせていなければ子どもとの本当の向き合い方はできないのだということも知りました。

保護者の方からの学びも多く、子どもへ対する思いや考え方をはじめ、時には社会人として、組織人として学ぶことも多々ありました。我が子に対する愛情のかけ方も皆同じではないし、子育てに対する考え方や子どもの守り方、家庭の中にある大まかなルールもそれぞれだということを肌で感じてきました。だからこそ、私達の立場での寄り添い方も多種多様でなければならない。そんなことをずいぶん学んできたなーと実感しています。

そして就職して最初に出会った初代園長富田先生。子どもとの向き合い方、保護者への向き合い方、そして幼児教育のあるべき姿、それはもう語りつくせぬほどたくさんのことを教わりました。幼稚園教諭としての学びはもちろん、親としての学びや仕事人としての学びなど、様々な角度から 『人』 としての大事なことを学びました。

このように、私にとって平成という時代は、幼児期を深く学び子どもをはじめ人との関わりを深く学んだ時代となりました。この学びに終わりはありませんから、新しい令和の時代でもより深く掘り下げていけたらと思っています。

 

自分自身が子どもとしてとことんあそんだ昭和。

自分自身が子ども達にとことん向き合ってきた平成。

そして令和では、新しい時代の主役になる子ども達が健やかに豊かに幸せに育つための広い視野を持ち、自分に今できることを考え、実践していきたいと思っています。

 園長   伊勢 千春

 

 

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温かな風景

今年も隣に隣接する長命館公園(風の子公園)の桜が満開を迎えました。

入園したての子ども達も春風に誘われて、たくさん園庭に飛び出してきます。

いつもこの時期は、バスから降りてくる年少さんがおうちの方から離れるのが恋しくて、泣きながらおりてくる光景が見られています。しかし、一緒にバスに乗ってきた年長さん達が年少さんの手をひいて教室まで連れて行ってくれたり、すでに登園していた年長さん達がバスが到着するや否やバスに駆け寄り、出迎えてくれたりしています。なんて頼もしい年長さんなのでしょう♡ 私の出番などほぼ皆無の状態です(笑)。

私の仕事を年長さん達にとられているので(笑)、そんな光景を眺めながら、「○○君も少し前まではこんなふうに泣いていたのになー」「あんなに自分の事だけで必死だった○○ちゃんが、小さい子のことを気遣ってあげられるような余裕ができたんだー」など、子ども達ひとりひとりの成長をそっとかみしめています。

今週に入り暖かい日が続き、風の子公園の桜も満開になり、見渡すとまるでめるへんが桜に囲まれているよう。

 

そして、タイヤ階段にはたくさんのつくしんぼ♡

子ども達が、「いっぱいみつけたよ♡」と見せに来てくれたり、「ママのおみやげにする♡」と言ってポケットにしまいこんだり。そんなひとつひとつの子どもたちの想いにほっこりしています。摘んだ草花や風に乗ってやってきた桜の花びら、園庭で見つけた綺麗な小石…。子ども達が持ち帰るものは、たとえしおれていたり形が崩れていたりしても、自分で見つけたとびっきりの宝物なのです。子ども達は毎日、こんなふうに自分だけの『いいもの』に出合っています。

そんな中、「せんせい。ピンクのお花と黒いお花があるよ」と年少さん。桜の木を指さしていたので、ピンクのお花はきっと桜のことだろうと予測できたのですが、黒い花って?と思っていると、「こっちだよ、ほら~」と案内され行ってみました。実は、子どもの言う黒い花とは壁に映った桜の影のことだったのです!風で桜が揺れる度に影も同じように揺れ、「黒いお花がうごいたー!」と大喜びの年少さんでした。

これから一年、子ども達はこうしていろいろなことに出合い、驚き、喜びを体感していくのです。子ども達ひとりひとりがどんなものに興味を持ち、好奇心がわき、心が動くのか、私もワクワクしています。

 

平成もあと二週間で終わりです。

令和という新しい時代は、この子ども達の未来です。子ども達の未来が明るく平和であるように願いを込め、想いをこめて日々の教育にあたってまいりたいと思います。

そんな願いが届いているかのように、今日もめるへんの空には元気なこいのぼりが力強く泳いでいます。

 園長   伊勢 千春

 

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新年度スタート!

いよいよ新年度がスタートしました。

昨日は始業式。

久しぶりの幼稚園に「今日から年長さんだよ」「2階のお部屋になるんだよ!」「○○組になりたいなー」など、朝のバスから降りてくるとみんなワクワクの様子♡

始業式の最後にクラス発表があり、新しい担任から名前を呼ばれると、張り切って返事をしてピカピカの新しいバッジを制服につけてもらっていました。年に一度の何とも初々しく微笑ましい姿です。

 

そして、今日は第39回入園式でした。

入園式当日の天気は、予報によると『雪』となっていたので、前日からとにかく天気が心配でハラハラしていました。前日の夕方からみぞれが降り始め、朝起きてみたら我が家の前は一面の雪景色…。園に隣接している公園の桜も5分咲き程度でしたが、出勤してみると雪で覆われていました。道路の雪はだいぶ溶けてきていたものの、駐車場から園までの保護者や子ども達が歩く部分は相当湿った重い雪がまだだいぶ残っていました。しかし、私が出勤した時には、先生達が総出で園まで続く歩道部分を雪かきしてくれており、入園式が始まる前の大仕事になりました。園バスも念のためチェーンをつけて走らせるという、今までに味わったことのない入園式に…。入園式が始まる前からこんな調子でしたが、どうにか定刻通りに始めることができました。

そして、今年度は109名の新しい子ども達を迎えました。そのうち年少児が9割を占めていたので、それはもう大変賑やかな入園式になりました。子ども達の入場の段階で、すでにホール内には大きな泣き声が響きわたっておりました。私の挨拶ももうあきらめ、用意していた内容の3分の1程度に急きょ切り上げたほどです。PTA会長の祝辞もマイクの音量は最大になっていたはずなのに、ほとんど聞こえず…(苦笑)。お子さんが卒園した後なのにお越しいただき、祝辞の内容もお仕事でお忙しい中考えてきて下さったであろうに、本当に申し訳なかったなーと(苦笑)。こんな具合に式は進みましたが、先生達による園歌披露になると、歌声やステージ上のパネルの絵に釘付けになる子ども達でした。

せっかくなので、式辞の中でお話しようと思っていたことをピックアップします。

今日が子ども達にとっては、集団生活、そして自立の第一歩の日。初めて大好きな家族から離れて新しい環境に入るわけですから、泣いているのが当たり前。話を聞けないのが当たり前。集団のルールも分からないし、不安になったり自由に行動したりするのが当たり前です。明日からお母さんのもとを離れ、寂しくないか、皆と仲良くできるかなど、保護者の皆さんも不安と緊張があると思います。しかし、「こんな時もあったなー」と懐かしむ日が必ずやってきます。ですから、私たち大人がどっしりと構えおおらかな気持ちで子どもに寄り添い、これからのひとつひとつの子の成長を共に喜び、楽しんでいきましょう。

 

さて、明日からどんな1年が始まるのかワクワクドキドキです☆

教職員一同、とびっきりの笑顔で、両手をいっぱいに広げ、子ども達を出迎えます。どうぞ安心して送り出して下さい。

 

 

園長    伊勢 千春

 

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紅梅の木のように

明日、いよいよ卒園式を迎えます。

ここ最近、園長室で仕事をしていると、卒園の時にステージ発表する声や、歌声が聞こえてきていましたが、先週末の予行練習で初めて年長さんの練習風景を見ました。この日が本当の卒園式でもよかったくらいひとりひとりが頑張っていてとても立派でした。

2、3年前はお母さんから離れ、あんなに泣いたり話が聞けなかったり、集団のルールも分からず自由に動き回っていた子ども達が、たった2,3年でこんなにも成長するのです。ですから子どもの成長というのは本当にすごいと思います。

そして、子ども達がこんなふうに成長したのは、ひとりひとりの心の根っこが育ったからです。

あそぶ時はとことんあそび、やるときはしっかりやる、そして頑張る力もたくさん育ったからです。こうして大きくなれたのは家族のおかげであり、たくさんのことを一緒に学んだ友だちのおかげ、皆のおかげです。決して一人で大きくなっているわけではありません。だから、卒園する子ども達にはそのことを忘れず、周りの人に感謝できる子であってほしいと願います。

これから先、楽しいことや楽なことばかりでなく、嫌だなと思うこと、上手くいかないこと、苦しいことだってたくさんあるはずです。親や周りが助けてあげられることもあれば、自分で考え乗り越えなければならないことだってきっとでてきます。だからこそ、子どもにとっての試練を自分の力で越えていける強さやたくましさを持ってほしいという想いも持ちながら、子ども達に本気で向き合ってきました。

幼児期は木で言えば根っこの部分であり、土に隠れて見えない部分だと思っています。その根っこがどう育つかでその後の木の太さや強さに影響してくるのです。しっかりと地に這うような立派な根っこになれば、その後幹が伸びていくうえで雨風にさらされても、冬の寒さを直に受けても耐えることのできる立派な木になると信じています。だからこそ、人の目には見えない根っこの部分にこだわっているのです。

子ども達のこれからの長い人生の中で、幼稚園時代はほんの2,3年であり、それこそどんな幹になりどんな葉をつけ、どんな花を咲かせるかはわかりません。しかしこの土台をしっかりつくることでその後の育ちに影響があるとするならばなおのこと、子ども達に携わる私達の使命として、この短くも重要な2,3年をひとりひとりとしっかり向き合っていかなければならないと思っています。

 

先日、隣の長命館公園のサポーターズクラブのIさんから紅梅の木の枝の一部をいただきました。紅梅の木の枝の皮を削ったものをIさんが持ってきて下さったのですが、見ると枝の皮の下はなんと赤い色をしていました。枝の切り口の断面も赤くなっていました。

Iさんの話によれば、この枝の赤い色は梅の花が開くまでの間だけであって、梅の花が咲けばもうこの赤い色は枝にはみられなくなるそうです。調べてみると、木が乾燥するにつれ色が抜けていき徐々に枝の内面の色は褐色になるとのこと。だからちょうど開花の頃には枝の内面は紅色ではなくなるとのことでした。実際年長クラスで以前いただいた紅梅の枝の一部の切り口は花開くまでは赤くなっていましたが、梅の花が咲くとその切り口部分は白っぽくなり紅色ではなくなっていたそうです。それを見て子ども達も「えぇ~!ほんとだ~!なんでぇ?!」と驚いていたそうです。

Iさんから、「この紅梅の木の枝は先生達みたいだね。」と言われました。

「紅梅の木の内面は最初はこんなにも赤いのに、花が開くころには色が花に吸い取られるかのように白っぽくなる。たくさんの栄養を子ども達に与え、子ども達がそれを吸収し花開く。先生達が枝だとしたら子ども達は梅の花のようだね。」と。

なんて素敵な表現なんだろうと感動しました。

枝の内面の赤い色は、冬の寒さが厳しければ厳しいほど濃くなり、やがて咲く紅梅の花の色も濃く深く色味が増すそうです。

子ども達と真剣に向き合うには、時に悩み、時に迷い、様々な苦労ももちろんあります。しかし、そんな迷いや悩みも含め冬の寒さのように試練があった分だけやがて咲く花が綺麗に花開くとしたら、こんな嬉しいことはありません。

Iさんのこのたとえを聞いて、なんて素敵な表現であり、私達の仕事はなんて素晴らしいのだろうと感じました。

そんな想いでお預かりしていた子ども達93名もいよいよ巣立っていく時がきました。

いつか子ども達の咲く花が、濃く、深く、人の心を揺さぶり魅了するようなそんな色味のある花になるよう願い、小学校へ送り出したいと思います。

年長さん。

元気に小学校へ、いってらっしゃい。

 

 

園長    伊勢 千春

 

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