園長室から

心に思うこと、その時感じたことをそのまま綴る、園長の徒然日記です。

恩師からの最後の学び

私には中学1年生から現在まで繋がっている先生がいます。

中学校3年間の体育を教わり、中1の時には担任もしていただいたT先生です。中学を卒業してからお会いする機会がなかったものの、年1回の年賀状のやりとりはいまだに続いておりました。そしてT先生の娘さんとも仕事を通してつながりがあり、直接的に会っていなくても身近に感じられる存在でご縁を感じておりました。

そのT先生が先日亡くなられたと情報が入りました。

悲報をうけたのは出勤前の朝食中で、こんなにも涙が出るものかというくらい涙があふれ、出勤する前から人にみせられないひどい顔になっていました。数日前からT先生がだいぶ弱ってきているという話を聞いていて、我が家の食卓の席でもその話題が出ていたこともあり、「T先生が亡くなった」とひとこと発し、滅多なことがない限り涙を流さない私が、しゃくりあげながら朝ごはんを食べている姿を見て、家族も状況を察したらしくなにも声をかけずにいてくれました。

 

私は、小さい頃から面白いことやいたずらが大好きで、かなり手のかかるやんちゃな子どもでした。母の手を相当煩わせていたという話は、私が大人になってから嫌というほど聞かされました。

幼少期のなごりが中学生の頃もまだ少なからず残っていたのでしょうか。

T先生との思い出と言えば、ある日の放課後「こらー!千春ちゃん!待ちなさいっ!!!」とT先生がすごい勢いで向かってきたので、体育館の更衣室の窓をとび越え自宅まで走って逃げたことがありました。どうしてT先生が追いかけてきたのか今となっては全く覚えていませんが、すごい勢いで先生が追いかけてきたことだけは鮮明に覚えています。それがT先生との一番の忘れられない思い出です。(今のこの時代にこんなことをしている中学生はいるのでしょうか…(汗))この時の光景が今でも頭に焼き付いています。体育の先生で足も速かったので、必死で逃げ、そのことが私の中では相当楽しかった思い出として記憶に残っています。こんな状況なのにT先生との楽しかった思い出…なんて言っていること自体、今となっては本当に先生に申し訳なかったと反省しています。

T先生は背筋がすっと伸びて姿勢がとてもよく、小柄でしたが威厳があり、注意する時は厳しくビシッ!!と身が引き締まるような雰囲気がありました。しかし普段は大変明るく朗らかで、笑う時は大きな口を開けて豪快に笑い、そんなT先生が私は大好きでした。

 

中学時代の同級生にも連絡を入れ、葬儀にはバスケ部仲間4人と一緒に行ってまいりました。みんな仕事を持っていて忙しい中、しかも急だったのにもかかわらずT先生に最後にお別れしたいとみんなの顔が揃いました。葬儀に行くと、当時同じ中学校で、私も数学や英語、バスケ部顧問でお世話になった先生方もいらしていて、30年以上ぶりの再会でした。

一気に中学時代の思い出がよみがえり、葬儀の後、当時の話が少しできました。ここにいらしていた数学のJ先生からも当時授業中にきっとおしゃべりでもしていたのでしょうが、よくもみあげをグリグリとひっぱられ、おかげさまでわたしのもみあげのあたりはツルツルでした(苦笑)。今ではこのような話は大きな声で言えるものではなくなっていますが、当時の私はそれもまた楽しんでいたように思います。先生にお会いしたのも30年以上ぶりでしたが、その思い出をJ先生に話すと、先生は「えーっ?! 俺、千春の事怒ったことあったか~?!」と大変驚いていました。

同級生達とは、「今思えば、うちらあの時、先生達に悪かったなーってこときっとたくさんしてたよねー。先生あの頃はごめんなさいって今なら素直に言えるよね。」と話していました。この日一緒に行った同級生の中には現在中学校や高校の先生をしている友人もいたので、大人になった今なら先生側の気持ちが痛いほどよくわかるねと話していました。

お焼香の時に近くで見たT先生の遺影のお顔は穏やかに微笑んでいて、またまた号泣してしまった私ですが、ちゃんと感謝の気持ちは伝えることができました。この時いらしていた当時の先生から聞いた話では、体育の先生だったT先生は、生徒の前で見本の倒立ができなくなってしまったことが理由で、55歳の時に早期退職したと聞きました。口頭での指導が中心になる先生はいくらでもいて、まだまだ教師を続けることはできただろうに、T先生は最後まで自分の信念を貫き、生徒に真摯に向き合っていた先生だったと。

中学卒業後、30年たった今、楽しかったことも先生をちょっぴり困らせたことも含め、懐かしい思い出として振り返ることができました。そして懐かしい先生方にもお会いでき、大人になった今、当時の先生方の想いに触れたり、仕事への向き合い方を知ることが出来たりしたのも、T先生のおかげです。そして当時の自分たちの行動を振り返り、今ようやく先生方から卒業できたような気がしていてT先生がこのような時間に巡り合わせて下さったように思います。

そして体育の先生としてのT先生のプライドや仕事へ向き合う真摯な姿勢は、中学校と幼稚園という違いはあるものの、子ども達へ向き合うという意味で同じような立場にいる私にとっては、今後の幼児教育への向き合い方を考える意味でもT先生からの最後の教えとなりました。

T先生は最後の最後まで、やっぱり私の先生でした。

 

新しい年が始まったばかりの悲しい出来事ではありましたが、新しい年にふさわしく、また一から気を引き締め頑張ろうと光もみえた出来事となりました。

 

 

園長    伊勢 千春

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新年を迎えて

平成最後の新しい年が始まりました。皆さんはどのような新年を迎えられたでしょうか。

私は大みそかから二日にかけて両家の実家に一泊ずつお世話になり、例年と変わらないお正月を過ごしました。

寝正月になる年もありますが、昨年から今年にかけて今回の年末年始は、友人と会う機会が多かったり、お芝居を観に行ったりと毎日出かけ歩き、充実した時間を過ごしておりました。

特に、私がまだ若い頃一緒にめるへんで仕事を頑張っていた同僚達が、それぞれ結婚し職場を離れ県外に行ったり仙台を離れたりしていてなかなか会うことができずにいましたが、今回急きょ集まることができました。大阪に引っ越した先輩が県北のご実家に帰省するとのことで、仙台まで出るから会わないかと声をかけてもらったのがきっかけでした。当時一緒に働いていた後輩数名にも声をかけると、皆喜んで参加!驚異の参加率でした(笑)。

それぞれ家族も持ち、離れた場所で頑張っているにもかかわらず、家族の話題や住んでいる土地の話などはほぼ話題にあがらず、話のメインをさらっていったのは『めるへん』。話題はめるへん一色でした(笑)。

昔こんなことがあったよね、こんなことして園長に怒られたよね(苦笑)…という思い出話から、今のめるへんのこと、卒園した子ども達のことまで。今回のメンバーでは唯一私が現役なので、園舎は変わったのか、めるへんらんどはどうなっているのか、どんな行事がまだ続いているのか、バスは?等々質問が殺到。いろいろ話しているうちに昔とほとんど変わっていない…ということが判明。特にめるへんたいむは今でもやっぱり人気なんだ~!!!と歓声が上がりました。でもあれは毎回コーナー内容を吟味しないといけないし、準備も大変だったよねーと。でも自分が子どもだったらすごく楽しいと思うから子ども達にとっては不動の人気なのも分かるよねーと皆納得。

そしてめるへんっこ達が楽しめるあそびの代表、劇あそび。これも今回の話題の中心でした。実は裏話のようになりますが、これは先生達をかなり悩ませる活動のトップに今も昔も変わらず君臨しています(笑)。決められたことを決められた通りに行なっていくようなスタイルとは真逆で、その時々で子ども達から湧き上がる発想や想像力をどう取り入れていくのか、どんなふうにクラス全体で共通理解をしていくのか、子ども達の個々の声やアイディアをどうストーリーとしてつなげていくのか等々、先生達の悩みは挙げたらキリがありません。ですから今でも劇あそびの勉強会を行ないながら年明けすぐに始まる劇あそび旬間に備えています。

今回集まったメンバー時代と唯一異なるのは、劇あそびを以前は発表会という形態をとってステージ発表していたこと。台本通り進める『劇』ならば発表できますが、このような形で進めていく劇あそびをステージ発表するのは本来の目的や子ども達の今育ってほしい姿とはズレが生じてしまうので、そこが往年の悩みであり課題でした。何年もかけてその部分を吟味し検討した結果、発表の形態をとらず、本来の目的やねらい、子ども達の成長に必要な部分を育てることを第一に考えた形に変えたことが昔の形態と変わったところでした。そこに集まったメンバーも「うんうん、本来はそうあるべきだよね」「そんな形態になってよかった!」と皆納得でした。

そして最後に驚いていた昔と変わっていないもの、それは手書きのクラスだよりでした。

「ええ~?!まだ手書きのクラスだより出しているんですか~?!このハイテクな時代に!」と…(苦笑)。確かにどんどんIT化が進んでパソコンなどは当たり前の時代。手書きするよりもパソコンで作る方が仕事の時間短縮にもつながってはるかに効率もいい。先生達の仕事の負担を考えると答えはすぐに出ます。でもこんな時代だからこそあえて事務的な印象を持たずに温かみのある思いのこもったクラスだよりでありたいという思いもあるのです。効率優先か一枚のプリントが醸し出す温かさが優先か。いろいろな想いが入り混じるわけです。「クラスだよりには、自分のクラスや自分の保育に対しての想いを綴っていたよね」とか「あの一枚に愛をこめてたよねー、字には自信なかったから自分のクラスの保護者は読みにくかっただろうけどー」と、懐かしさと共にこんな声も出ていました。それは今も変わらず、皆手書きのイラストなども加えながら、自分のクラスへの想いや保護者と共有したい子どもの育ちについて丁寧に仕上げるようにしています。

 

今年は平成という一時代が終わり新しい時代の幕開けでもあります。

時代はどんどん変わり私達の身の周りも変化しています。

今回昔懐かしの同僚とのこれらの話は私の中でもいい刺激になりました。時代の変わり目でもある今年は、もう一度改めていろいろな日常の当たり前を見直してみようと思いました。時代が変わろうとも、昔からのものの中にも失くしてはならないものもあれば、時代と共に変わっていかなければならないものもあるはずです。どの部分がそのままでいいのか、どの部分が変わっていかなければならないのか、その見極めが重要であると思います。ですからその見極めの部分を丁寧にみていきながら、めるへんに携わった過去の先生達に今後も誇れるようなめるへんでありたいと思った新年の幕開けでした。

 

 

園長    伊勢 千春

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努力は実を結ぶ

先週、『生活発表会~合唱会~』をイズミティ21の大ホールで行ないました。

大きなホールにたくさんの観客、キラキラの照明をあびて、普段とは全く違う環境に戸惑った子もいたかもしれません。私はピアノ側の舞台そでから、子ども達と先生達に密かにエールを送っておりましたが、少し緊張気味の子やおうちの人が観に来てくれて嬉しそうな子など表情はいろいろでした。それでもみんなイキイキいつも通りの表現ができていたと感じることができた合唱会でした。こんな大きな舞台に立てる機会はそう滅多にあることではないので、このような経験も良い経験のひとつかもしれませんね。

子ども達と同じくらい気にかかっていたのは、先生達のピアノでした。

幼稚園などで行なわれる発表会のピアノ伴奏は、得意な先生や習っていた経験のある先生が担当するということも珍しくないはずです。しかしめるへんの合唱会は、基本全員が均等に弾くことになっています。合唱会の有無に関わらずクラスでは必ず子ども達と歌を歌うため、ピアノの練習は必須です。発表会でピアノの上手な先生や得意な先生だけがいつも弾いていたのでは、クラスで歌う時も伴奏にしっかり意識を向けて子ども達と歌を楽しめるだろうかと思うと、なかなか人の心理的には難しいというところもあるのではないかと思います。

そんなこともあり、得手不得手関係なく、先生達ひとりひとりが頑張っています。

中にはけっこう難しい伴奏のものもあり、ピアノが得意ではない先生からしたら相当練習が必要だったはずです。しかし、そんなそぶりは表立って見えず、きっと影の努力があったのだろうと十分推測できました。仮にピアノが得意だったとしても、あのような大きな舞台で伴奏するとなれば、かなりの緊張もするでしょうし、子ども達の歌の足を引っ張ってはいけないというプレッシャーは全員が持っていたと思います。もうこれは各自の練習あるのみで、私ができることは何もなく、皆を信じて「大丈夫、やれるよ。」という声をかけるくらいです。そんなわけで、毎年舞台裏のピアノのそであたりで子ども達と先生達に熱い視線と心だけはしっかり送っていました。

笑い話ですが、そんな想いでいつも舞台そでにいたのに、当日の朝N先生が私のところに近寄って来て、とても言いにくそうに、ピアノのそばに立たないでほしい…と(笑)。私がそばにいるとよけい緊張するとの話でした。みんなの緊張をほぐすために良かれと思っていたことが、まさかの逆効果!(みんな、そうだったの~?!ごめん!!(苦笑))

そんなわけで、今回は少しピアノから距離をとって見守りました。※私なりの気遣いです…(笑)。

合唱会が終わった後に、お昼を食べながら雑談でその話題になると、N先生と同じように思っていた先生もいれば、逆にピアノの近くにいたほうが安心するという先生もいたり、「今日の千春先生の立ち位置、いつもの合唱会とちょっと違ってましたよね?!若干距離があったというか。見えにくそうでピョコピョコしてたのが見えましたがそういうことだったんですね~」と冷静に察知する先生もいたりと様々でした。たかが立ち位置のことですが、みんなの想いを組もうとすると難しい…と改めて感じました。

そんなちょっと笑える裏話もありましたが、努力はやはり実を結ぶのだということを今回改めて感じました。子ども達に注ぐ想いと同じくらい、先生達に注ぐ想いもあります。幼稚園の先生だからできて当たり前、仕事だから当たり前…一般的にはそんな捉え方も少なからずあるでしょう。でもそのひとことで済ませたくないと思っています。みんなを信じてみんなに任せて「大丈夫、やれるよ」と背中を押してあげたいですし、たくさんの努力を認めてあげたい。それはピアノだけに言えることではありませんが、大人もこんなふうに努力すればしっかり実を結ぶということ、心をもって行動していれば相手にちゃんと伝わるということを私は常々学んでいる気がします。

2学期の子ども達も、運動会や合唱会をはじめ、いろいろなことに挑戦していました。長縄や一人跳びなども練習している姿を毎日みてきました。練習している子はやはりできるようになっていくのです。リレーの練習の時もそう思いました。やはり、何度も何度も自由あそびの時から走っている子は走り方がどんどん変わっていくのがよくわかりました。二学期はそんな努力している子ども達や先生達を目の当たりにし、自分自身を振り返ってみると、具体的に何のためにどんな努力をしただろうかと思わず自問自答してしまいました。

今年も残りあとわずか。

来年は子ども達や先生達を見習って、自分もこのことのためにこんな努力をした、と胸を張って言えるようにならねばと思っています。

自分自身の中での唱え言葉は、【人に言う前に、まず自分】ですから。

 

 

園長    伊勢 千春

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合唱会♪を楽しむ方法

12月に入りました。

日中おひさまが出ると暖かさも感じますが、朝晩はやはりだいぶ冷えてきました。今朝、外で子ども達を出迎えておりましたら、白い小さな粒であられのようなものがぱらついてきました。すぐにやんでしまいましたが、外であそんでいた子ども達は、「えっ!しろいつぶだー!」「ゆきじゃない?!」と歓声を上げ、小刻みにジャンプしておおはしゃぎでした。まだ積雪はないものの、仙台にも雪の便りがやってくるのも近いかもしれませんね。

 

さて、このところ園長室で仕事をしていると、ホールから元気な歌声が響いてきて、仕事のBGMのようになっています。というのも、来週には合唱会を控えており、昨日は総練習の日でした。

例年お伝えしていますが、めるへんの合唱会は 『生活発表会』 と位置づけております。

普段の子ども達の日常の中に歌はあります。園生活の中にも歌が溢れていて、歌は子ども達にとって身近なものであり、自己表現のひとつと捉えています。歌に親しんだり、皆と一緒に声を出して楽しんだりしていく過程の中で、うたって楽しい、みんなで声を合わせるのって楽しい…!そんな想いを味わってほしいと思っています。その中で少しずつ歌詞の情景を思い浮かべながら歌ってみたり人に見られることを意識してどのような態度でステージに立てばいいのか気づいたりしていくような成長ができればと思っています。ですから、発表会のために…人に見てもらうために…立派に歌う、上手に歌うということに比重を置いておらず、そのような姿は年齢に応じて生まれてくるものだと解釈しています。

年少さんは本当にクラスで楽しんでいるそのままをお見せできればいいと思っています。合唱会とはいえ、年少は 『うたあそび』 というくくりです。入園から8カ月が経過し、おうちの人から離れて生活する幼稚園にも慣れて、最初は先生がいないと不安だったのがお友だちとの関わりを楽しめるようになったりうたあそびを通して表現することを楽しめるようになったりしています。大きな会場での発表になりますが、人に見られることを意識したり緊張したりする…という感覚はまだそれほどないのが年少さんだと思います。きっと教室で普段先生やお友だちと一緒にうたあそびを楽しむありのままの姿がご覧いただけると思います。

年中さんは年少に比べれば、見られるという意識もでてきますが、それでも元気いっぱい張り切って、歌えるようになった歌や普段から楽しんでいる歌を披露できると思います。できるようになってくることが増えたり自信がついてきたりしている分、みんなに見てほしい、聴いてほしいという前向きな気持ちも出てくる頃です。その反面、まだ恥ずかしさがでたり集中力の持続が難しかったりすることもあるかもしれません。しかし、イキイキと張り切って元気いっぱい歌う…という姿が前面に表れるのが年中さんの特徴になってくるのではないかと思います。

そして年長さん。

大きな舞台での緊張感はもう十分感じる年齢です。人に見られているという意識も十分ありますからドキドキしたり少し心が縮こまったりすることもあると思います。しかしそんな経験も必要な経験のひとつと捉えています。歌詞を思い浮かべながら歌うことも年長だからできることで、歌を通して想像力も膨らんでいけばいいなという願いを込めて、歌を取り入れています。そして時と場を考えて今どのように行動したらいいのかを感じ取ってそれを実践することや緊張しても今の自分の力を発揮するなど、これから小学校にあがっても必要になる部分も意識しながら進めているところです。子ども達が自信を持って堂々と表現している姿をお見せできればと思います。

運動会と同様、合唱会は子ども達の成長の差、学年の差、成長の過程が良く見て取れる行事です。我が子の出番だけでなく、どうぞそんな視点で他学年の子ども達にも目を向けていただけると、また違った楽しみ方ができるだろうと思います。

 

そして、当日歌う曲の中には、童謡や初代園長富田先生作詞の歌も盛り込まれています。

新任時代から10年以上に渡り、幼児教育とは何ぞやというものを富田先生から叩き込まれ、幼児教育に欠かせないもの、絶対的に必要なものを私は学びました。その中には童話や童謡ももちろん含まれており、幼児教育にとって欠かせない大事なひとつになっています。時代の変化と共に私達の身の周りに溢れる歌やものも様々な形のものが生まれています。新しい形も取り入れつつ、日本語の持つ美しさや思い描かれる情景など、失くしてはいけないもの、大事に歌い継いでいきたいものをこの幼児教育の現場では大切にしていきたいと思っています。子ども達の心が豊かになるよう願いを込め、『やまのおんがくか』『こぎつね』『たきび』などどなたでもご存知の童謡を三学年とも盛り込んでいますので、ぜひご一緒に口ずさんで頂けたら嬉しいです。

 

担任とクラスの友だち、同じ歳の学年の仲間、それぞれ一体となって当日を迎えます。もしかすると慣れない大きな立派な会場や雰囲気に戸惑う姿等もあるかもしれませんが、どうぞ温かい目でご覧ください。

 

 

園長    伊勢 千春

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「子ども哲学」とは

11月10日の河北新聞で 【 『子ども哲学』家庭でも 】 という見出しの記事がありました。サブタイトルには『対話を通し思考力磨く』とあり、『子ども哲学』なんてあまり馴染みのない言葉だったので何だろう?と思い、読み進めていきました。

記事によれば、大学入試改革で記述式問題が導入されるなど、教育における思考力重視の傾向が高まっており、子ども自身が「問い」を発し、意見を出し合いながら考えを深めていく対話活動のことを『子ども哲学』と呼び、注目を集めているとのことでした。この子ども哲学は、思考力や探究力を養うのに役立つと考えられているそうです。

当園でも、子ども自らが様々な事柄に気づき、「どうしてだろう」「なんでだろう」という疑問を持ったり、不思議に思ったりしていく中で、「こうだからかな?」と自分で想像したり、試したりしていけるような環境をつくる努力をしています。そのためには、大人が正解への道筋や答えをすぐに子ども達に伝えないことを心がけています。個々が自分で想像を膨らませたり予測を立てたりしながら考える時間を大切にするとともに、周りの友だちと一緒に、ああでもない、こうでもない、こうだからかな?いや、ああだからかな?など、それぞれ違う意見や考え、視点があることを楽しんでもらえるような環境を大切にした保育に努めています。

この記事の中にも、きょうだいや友だちを交えれば、異なる意見が出て対話が深まると書いてありました。

結論を出す必要はないこと、そして注意すべきことは子ども扱いをせず話を十分に聞くことだと言います。子どもも大人も対等な立場だということが重要で、子どもは発想が柔軟で意外な点に着目するので、対話を通して違う考えを持つ人がいることを知れば、相手への敬意も生まれるとありました。対話とはそれを通じてお互いが変化することを前提にしているため、対等だからこそ大人も学ぶことができるとありました。そして「教えてやろう」ではなく「教わる」姿勢を大切にし、子どもから学び自分を変えることができるか、大人自身も問われている…ということでした。これは立教大文学部教育学科教授の河野哲也先生の話を新聞から抜粋したものですが、子どもとの対話時の大人の姿勢にハッとさせられました。子どもに比べれば、もちろん大人は知識も豊富で考え方も自分なりの方向性が定まっています。ですから正しい道に子どもを誘導してしまうような「教える」「正す」というスタンスだけで子どもと接したり対話したりしてはいないかと、改めて自分を見直す機会にもなりました。子どもの年齢や物事の内容によっては、大人が道標にならねばならないことももちろんありますが、きっと大人が子どもから教わることだってたくさんあるはずです。

そういえば少し前に、中学生の職場体験で市内の中学生の受け入れを当園でも行ないました。配属されたクラスの子ども達と、隣の森に出かけたある男子中学生のその日の日誌の中に、【キノコに詳しい男の子がいて、キノコのことをいろいろ教えてもらって楽しかった】…というような内容が書かれてありました。4~5歳の幼児から中学生がキノコについていろいろ教えてもらい楽しかったと素直に感じ、それを日誌に表現していたのです。

そんなふうに、年齢や大人子ども関係なくお互いに知っていることを教え合ったり、想像したことや考えたことを伝えあったりできたなら、知らないことを知ることができたり、今までは興味・関心が向いていなかったことに目が向くようになったり、さらには自分の思いや考えとはまた違った発見もでき、自分の思考も広がっていくのではないでしょうか。このような姿勢は、他者や違う意見を受け入れることにもつながり、人とのコミュニケーションの取り方も柔軟になるのではないかと思いました。

私たち大人も、子どもとの対話の中から…いいえ、子どもだけでなく様々な人との対話の中から 『教わる姿勢』 を大切にしていきませんか?

きっと自分の視点とは違うものの見方が生まれ、思考も広がり、教わる楽しさを味わえるかもしれませんね。

 

 

園長    伊勢 千春

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