園長室から
心に思うこと、その時感じたことをそのまま綴る、園長の徒然日記です。
一人一人が育ちの証
あたたかな春の日差しの中、本日、76名のかわいい子ども達の卒園の日となりました。
年長さん、卒園おめでとう。
今年の年長さんが年少組で入園した三年前。
新型コロナウイルスの影響を受け、当園も6月から新年度が開始となりました。思い起こせば震災を経験した時と同じように、先の見えない中、保護者の皆さんも大変な不安やもどかしさがある中での入園になったことと思います。それは私たちも全く同じで、これまで当たり前に行っていた教育活動や行事を全て一から見直し、計画を立て、練り直していく日々でした。考えなければならないことが大幅に増え、消毒作業や感染が広がらないよう環境の工夫などにもかなりの時間を要しました。
その中でも私が一番悩んだこと。それは、幼児期には人とのコミュニケーションを一番大切に育まなければならないにも関わらず、人との関わりを減らさねばならないという動きに、大変葛藤した日々でした。表情をマスクで隠してしまいながら子ども達と関わる自分にも納得がいかず、こんな小さな子ども達がマスクをつけて生活する姿にも心がついていかない状況でした。もう少し早く出口が見えると当初は思っていましたが、ここにきてようやく…何とも長い道のりでした。
年長さんが入園したての時、とにかくお母さんから離れるのが嫌で大泣きしたり大暴れしたり、てんでバラバラ自由に好きなところへ散っていき、お集まりをするにも一苦労。今ではそんな光景が何ともいとおしく懐かしくよみがえります。
そんな子ども達も、皆で力を合わせることや最後まで粘り強く頑張ることを経験した運動会以降、ぐっと顔つきが年長らしくなりました。こんなに大きく変化を感じられたのは初めてかもしれません。あんなに個々が自分の思いのまま行動していた数年前を思い出すと、年長児が一体となって表現したあの合唱会での歌声と姿はまさに心が成長した証そのものでした。
新型コロナウイルスの影響を最も受けた幼児期を過ごしてきた年長児ではありますが、それでも、このような中でも、友だちと関わること、力を合わせること、皆とやり遂げることをたくさん経験してきました。皆と顔を合わせ、会話を交わしながら食べた給食では「給食ってみんなで食べるとおいしくて楽しいね。」という言葉が出たのも、感性が豊かに育ってきたからこそ子ども達が自ら気づけたことでした。当たり前のことが当たり前にできなかった時期があり、その時期を子どもたちなりに乗り越えてきたからこそ、このような想いにも子ども達自身が気づけたのかもしれません。
卒園式のリハーサルの時、年長児に卒園証書を手渡しましたが、その時の子ども達一人一人の表情は自信に満ち溢れ、どの子の表情もキラキラと輝いて見え、まるでこれから明るい未来に向かっていく尊い光のように感じ、年長児を誇らしく思いました。この表情を見て、もしかしたら、大人が思うよりも子ども達はずっとずっと幼児期を謳歌していたのかもしれない、そう思いました。
子ども達一人一人の育ちは、大人の物差しで、はかれるものばかりではありません。子ども達そのものを見ていれば、どのような部分が育ったのかは子ども達自身が証明してくれているはずです。どうかこの幼児期が、子ども達にとってかけがいのない日々になってくれているよう、心から願います。
保護者の皆様方、コロナ禍という状況の中でも、サークル活動や委員会、親父の会やボランティア活動など、様々な活動にご尽力いただきましてありがとうございました。このような前向きな大人の後ろ姿は、きっと子ども達にも伝わっているはずです。この場をお借りして御礼申し上げます。
この先も子ども達が様々な人と出会い、関わり、前向きにひたむきに歩んでいけるよう願います。そして大きな心で子ども達を包み込んでいけるようなそんな社会であることを願いながら、年長さんを新たなステージへ送り出したいと思います。
年長さん、元気に小学校へ、いってらっしゃい。
園長 伊勢 千春
朝いちばんの風景
2月も下旬となり、春の便りが聞こえてくるころとなりました。
現在、暦の上では「雨水(うすい)」の季節。「二十四節気」のひとつで「降る雪が雨に変わり、雪解けが始まる時期」と言われています。文字だけ見ると、梅雨の季節を想像したくなりますが、今年で言うと、雨水の時期は2月19日~3月5日までだそう。ひな人形もこの時期に飾ると良縁に恵まれるという言い伝えもあるのだとか。当園にも今では珍しい七段飾りのひな人形を正面玄関に飾っています。ぜひ期間限定の七段飾りを幼稚園にお越しの際にはご覧くださいね。
さて、この節気通り、少しずつ春の訪れを私自身も実感しています。
園に隣接する風の子公園に散策に行ったクラスでは「ふきのとう」を見つけてきています。クラスで天ぷらにして食べたり、ばっけみそにして給食のおにぎりと一緒に味見したり。子ども達にとっては少し大人の味だろうと思いますが、春の味を体感してもらいたいと、担任達が食育として取り入れています。こんな自然の恵みをいただきながら少しずつ春の訪れを楽しみにしています。
さて、先日、朝一番のバスに乗ってきた子ども達がバスを降りていつもなら各教室に入っていくのに、この日は向かう先が園庭でした。どの子もわき目もふらず園庭に一直線。見ると、園庭にできたたくさんのくぼみに氷が張ってあり何とも耳に心地のよい氷の割れる音が聞こえてきました。
静寂につつまれた朝早い園庭から「パリパリッ」「パキッ」「パキパキパキッ」あちこちから氷の割れる音。
私も思わず園庭に出てみると、子ども達が前日にシャベルで掘った土のくぼみに沿ってキレイに氷が張っていました。そして、その道をたどるように子ども達がそーっと足を踏み入れていました。「いい音がする~」「わぁ~すごい」とそれはそれは楽しそうに無心に氷を足で割っていく様子。きっと皆さんもこの感触や音が想像できるのではないでしょうか。
足で氷をパリパリと割った後は、割れた氷をそーっと持ち上げていろいろな形を楽しんだり、氷を通して友だちと顔を見合わせたり。中には氷を綺麗に洗ってくる子もいて、「園長先生の顔が見える~!」と覗いてきたので「ほんとだ。○○君の顔も見えるよ~」とお互い氷を通して顔を見合って楽しんだり。
「せんせ~い!おっきなこおりとれた~!」「みてみて!すっごいとがってるよ」とあちこちから「みてみて」の嵐。そんな中で、R君が「園長先生!うなぎみたいな氷発見したよ」というので見せてもらうと、本当にウナギのようで、びっくりと同時に思わず笑ってしまいました。
うねり具合といい、長さや太さといい、本当にR君が言うようにウナギのよう。右の写真の左下の部分を良ーくご覧ください。本物のウナギの顔の形に見え、空洞になっている小さな丸い黒い部分がまるでウナギの目のよう。そして口元に見える部分からたまたま子ども達が踏んでできた氷の亀裂がこれまたウナギのヒゲのよう。氷にできている小さな粒粒の水泡も何とも言えないウナギの表面ような模様でした(笑)。そして何といってもR君、ウナギを知っているのですね(笑)。
偶然できた形や模様にたくさんの想像力がかきたてられたようです。そして持ち上げた氷を地面の氷の上に落として、粉々になるのを楽しんだり散らばる氷にさらに歓声をあげたり。靴で踏んだ時と氷の割れる音が違うことも年長さんが年少さんに教えている姿があり、「やってみてごらん」とあそびの伝授をしている姿も見受けられました。こうして子ども達の想像の世界やあそびから知ることの幅が自然に広がっていくのですね。
朝早くに子どもをバスに乗せるお母さん達は毎日大変。お仕事で朝早く園に子どもを連れてこなければならないママ達だって大変。もちろん早起きしなければならない子ども達だって大変です。しかし、園に着いた子ども達はお部屋に着く前からこんな楽しいことにであったり歓声をあげて楽しんだりしているのです。このような自然の事象は朝早いからこそ味わえることでもあるのです。
私も娘が小さい頃は毎朝時間との闘いで必死でした。仕事をしながら朝早くに子どもを送り出す親として、子どもにかわいそうなことをしているのかもしれないとふと頭をよぎることもあり、我が子に申し訳ない気持ちになることもありました。しかし、こんな子どもたちの風景を見て、少しだけ先輩ママとして今子育てに頑張っているお母さんたちに伝えたいこと。
それは、子ども達はみんな朝早くからこんな楽しい瞬間に出合えているよ。朝からたくさんの楽しいことに出合ったり友だちや先生と笑い合ったり。だから大丈夫。子どもの世界は大人が思うほど心配がいらないようですよ。
そんな気持ちを伝えたくなった朝の風景でした。
園長 伊勢 千春
昔話や伝統文化からの教え
劇あそび旬間が終了しました。
しかし、終了した今でも、お面をつけたりクラスでごっこあそびが盛んに行われていたりと、劇あそびの余韻を楽しんでいる子ども達です。担任達の発行する劇あそびだよりをみながら、「こんな結末になったのね」とフッと笑みがこぼれたり「こんな風に話が進んでいたなんて、子どもだったらドキドキするわ~」とハラハラしながら読んだり。かくいう私も、白雪姫ベースのお話であそびが進んでいるクラスに、急遽魔女になって劇ごっこにスパイスを加えに登場しました。声だけの出演で良いと言われていたものの、やはりそこは根っからのめるへん魂が黙っていてくれません(笑)。しっかり黒マントや黒ロングスカート(常備している劇用自前衣装)などで応戦。クラスや学年、クラス担任を超えた関わりとなった劇あそびでした。
劇あそびを通して、活発に発言するようになった子もいれば、アイディアを考え工夫したり家で劇に必要なものを作ってきたりした子もいました。また、そのような目立ったアクションはなくても、ドキドキしたりワクワクしたりお話の世界に『心』は惹かれ、想像の世界に入り込んでいた子だってたくさんいたはずです。この二週間の劇あそびが子ども達の育ちにプラスになっていることを願います。
そして今回、どのクラスにもオオカミが出てきたり泥棒が登場したり、悪さを仕掛けてくる悪者らしき人物が出てきましたが、昔話の世界にもたいていこのような人物が現れます。
例えば『桃太郎』では、鬼が村を荒らし村人たちの大事なものを奪っていき、最後は桃太郎や動物達に懲らしめられたり、『舌切り雀』では雀の舌を切ってしまった意地悪で欲深なおばあさんが最後には大きなつづらを選び、中から蛇だの化け物だのが現れてお仕置きされたり。『こぶとりじいさん』や『かちかちやま』、『さるかにがっせん』でも悪さをしたり欲が深かったりすると最後は決まって悪事が自分へと返ってくるというお話が昔話の中にはたくさんあります。
以前、これらの話の結末が「残酷だ」とか「子どもの教育にはよくない」「最後は許してあげて仲直りとすべきだ」などという話が社会的に持ち上がったことがあり、物語の結末を「許してあげて仲直り」と書き換えられて売り出されている昔話の絵本まで出てきたことに、児童文化に精通していた初代の園長が大変憤慨していたのを今でも覚えています。こういう悪いことをしたらこうなるんだ、自分だけが良ければという考え方をすると最後にはこんな結末になることもあるんだ、そんな戒めを昔話は教えてくれているのです。
残酷だから子どもへ悪影響が及ぶのではないかとか、子どもをあまり怖がらせたくないから最後はしっかり謝ってハッピーエンドの方が居心地がいいとか、そんな思いもよぎるかもしれません。しかし、現実の世界でだって謝ったからすぐに許せる問題ばかりではないことを小さなうちから少しずつ学ぶ必要があると思っています。今回の劇あそびでは大抵、悪さをしたけれど最後には仲直りをしたり怖いと思っていたオオカミが実は友だちがほしかっただけだったり結末は様々でした。それはそれで、もちろんいいのです。子ども達がみんなで作り上げたお話の世界ですから。しかし、昔から語り継がれてきた昔話は、いつの時代も子ども達の心を揺さぶり、生きていく上で必要なことを問いかけているのです。ですから、絵本を手に取り物語に触れた子ども達が絵本の意図を読み取り、道徳を学んでいく場であってほしいと思っていますし、昔話にはそんな力があります。だからこそ、物語の結末がソフトに書き換えられて子ども達に届けられていることに初代園長も憤りを感じていたのでしょう。
先週末は節分行事があり、親父の会から6名のお父さま方が鬼役をかって出てくださいました。
鬼を怖がって泣く子や必死に豆を投げて果敢に向かっていく子など様々でした。節分も日本の伝統文化。子ども達にとって『鬼』もひとつの恐怖ポイントかもしれません。実際、節分行事も「子ども達を怖がらせないでほしい」という要望で、かわいい鬼のお面を作っておしまいという園もあるようです。今回の当園の豆まきでは年少組には2匹の鬼が各クラスに登場し、年中年長は6匹の鬼たちが一斉に部屋に入っていくというように、それぞれの学年に合わせ、鬼達もパワー調整はバッチリでした。必要以上に怖がらせることはしませんが、やはり私とすると鬼役がいる節分行事も、やはり経験してほしい行事のひとつです。
そのような意味ではもちつき大会も一緒です。
のどに詰まらせる危険があるから餅つきをなくしているというところもあるようですが、これも日本特有の伝統文化。最初から切り分けられ、パックで売られているのが「餅」と思っていた幼児もたくさんいたようです。もちつき大会では、園庭にかまどを用意し、せいろでもち米をふかし、ふっくらさせてから臼や杵を用いてついて、ようやく餅になるという様子に触れ、みんなが食べているお餅はこんな工程を経てようやく口に入っているのだということも知ってほしいという願いを込めて行っています。そして、それを実際間近で見て、もち米の粒がくっつきあって粘り気を帯び、やがて皆の知っているお餅になるという過程をみることも大事な食文化のひとつだと思っています。食べ物はみな、簡単に食卓に並ぶのではなく、たくさんの人の手が加わり、様々な工程を経て初めて皆の口に入ることもこうして自然に知ってほしいですし、もちつきの「よいしょ~!」という掛け声やあいどりの様子などを見て楽しむこともまた風情があり、経験してほしいことのひとつです。
怖いものや、時に昔話のように残酷なものを排除しすぎて、「危ないもの」「刺激が強いもの」とひとくくりにして日本の伝統文化に触れる機会が子ども達の世界から減ってしまうのは残念です。ソフトな環境だけを子ども達に提供することだけがいいとは限らず、時に心にちくっと何かが刺さることもあれば、昔話の結末に、ゾクッとすることだってあるでしょう。こうして物語から学ぶこともあれば日本の伝統文化を通して知ることもたくさんあると思います。
ストレスフリーな居心地の良い環境は誰もがうらやむ望ましい環境です。しかし今置かれている私たちの環境も、子ども達の未来も、きっとそういう環境ばかりではないはず。だとするならば、そんな環境にもある程度順応していく力を小さなうちからつけていく場面が必要です。まだ小さいから…ではなく、それらの心育ては、今この時期からすでに始まっているのです。
園長 伊勢 千春
劇あそびへのこだわり
先週から劇あそびが始まりました。
『劇』ではなく『劇あそび』
あまりなじみのない言葉かもしれません。通常、学校や幼稚園で行う発表会では劇が主流だと思いますが、あえて当園では『劇あそび』を教育活動の一環として取り入れています。
劇はステージで、自分に割り当てられた決められたセリフを言ったり、役に合わせた衣装を着てセリフに合わせた身体表現をしたり出番や立ち位置もきめられているので練習が必要になります。小学校で行っている劇のように、大勢の前で自己を表現することや、責任を持ってそれぞれの役割を果たすという経験もいずれ必要な経験となるでしょう。しかし、この幼児期はもっと別な角度から大事にしたい心の育ちを追求し、あえて劇ではなく、発表形態をとらない『劇あそび』に当園では取り組んでいます。
幼児期の子ども達は、もともと 『ごっこあそび』 が好きで、まねることからあそびが始まります。戦いごっこやヒーローごっこ、お母さんごっこやお店屋さんごっこなど、テレビで見ているヒーローのマネや、スーパー、レストラン、病院など実体験をもとにしたごっこあそびが子ども達のあそびの中には溢れています。最初はその実体験をもとにごっこあそびが始まりますが、しだいにもっとあそびを面白くしようとしたり実体験に近づけようと考えたりするようになります。
そんな気持ちが芽生えてくると、ひらめきで思いつく面白いことを取り入れたり、これは悪者の仕業かも?!と想像を働かせたりするようにもなるので、しだいにごっこあそびから劇ごっこへと変化していくのです。そのうちあそびに必要な小道具を自分で工夫してつくるようになり、どんどん積極的にあそびに向かう前向きな行動に結び付いていきます。そこには『やらされ感』は全くなく、まさに子どもが主体となって自分で思いつくもの、想像するもの、必要とするものなどが取り込まれていきます。ですから、台本もなくセリフもありません。自由な発想で自由な表現でいつのまにか話が展開していくので、子ども達は夢中になってあそべるのです。
劇あそびは、そのような個々の主体性だったり想像力だったり工夫する力だったりとたくさんの育ちにつながります。皆で相談したりアイディアの共有をしたりもするので、人の意見や発想に耳を傾ける機会も増え、協調性にも結び付いていき、あそんでいくうちに様々な総合的な学びができるような流れになると考えています。そして、これまで関わりの少なかった友だちとも接点が生まれたり、部屋だけにとどまらずあらゆる場所が劇ごっこの舞台となるため他クラス他学年の遊びが影響し思わぬ方向へストーリーが展開していくこともあります。
また、普段から童話と童謡にも力を入れているため、たくさんの絵本や紙芝居などお話の世界に触れる機会もあります。本来子ども達は絵本や紙芝居などお話の世界が大好きです。ですから普段親しんでいる絵本やストーリーがモチーフになってクラスのオリジナルストーリーが生まれることも多々あり、劇あそびの幅の広さは無限大です。
私も初代園長富田先生から幼児期の劇あそびの重要性をとことん叩き込まれてきました。知れば知るほど、やればやるほど劇あそびとは奥が深く、幼児期の育ちに大事な要素が多く盛り込まれていることを実感してきました。
発表会のように子ども達がかわいい衣装を身につけ、ステージ上でセリフを言ったり踊ったりする姿はかわいらしいはずで、見る側の大人の満足度も高いのではないかと思います。しかし劇あそびは「人に見せるために練習する」いう概念がないため、ステージ披露ができません。ですからそのような大人の満足度からすれば『劇あそび』という活動は『劇』の発表に勝てないかもしれません。
しかし、活動そのものが誰のために、なんのために、という根本的な部分を見過ごしてしまい、うわべの綺麗な形だけを求めてしまったら、子どもの育ちには何の意味も持たないでしょう。
ひらがなの読み書きができる、ピアノが弾けるようになるというように、明らかに目に見えるものであれば成長を感じることができますが、劇あそびのような活動は子どもにとってどんな成長があるのか、なかなか表に見えてこないものです。しかし、子ども達のあそびの様子を見ていれば一目瞭然で、自分達で考えて、よりお話がより面白くなるようなアイディアを出し合う姿だったり、周りの声に耳を傾け聞き合いながら、想像の世界や創造の世界を楽しんでいる姿だったりがみてとれます。何よりも、「この子ってこんなに発想力が豊かだったんだ」「口数が多くなく控えめな子だと思っていたけれど、こんなに面白いアイディアを持っている子だったんだ」など子どもの新しい一面にも出合えるのが劇あそびです。
劇あそびには間違いや失敗がなく、こんなふうに自分で思いついたことをすぐにあそびに取り入れられる環境だからこそ、子ども達がイキイキのびのびと自己表現ができるのでしょう。そして周りの友だちの発言やアイディアに刺激を受け、たくさんの友だちと関わるからこそ劇あそびは楽しくワクワクするのです。劇あそびにはそんな魅力があり、だから劇あそびにとことんこだわりたいのです。
子ども達にとってはこのように魅力的な活動ですがまとめる担任は必死です(笑)。30人いれば30通りのアイディアや発想、発言が出るといっても過言ではないため、その様々な発想をどう一つのストーリ―の中に取り入れていくか…先も読めず大変です。しかしだからこそ、子どもがまさに主体の保育となるのです。先生が前に出て、子ども達を指示通りに動かすような保育とは真逆の性質を劇あそびは持っているため、先生達も多くの学びができるのです。しかし、身も心もヘトヘトになるのが劇あそび(笑)。私も担任時代はこの活動中は子ども達の想いもよらない発想や想像力に驚きとワクワク感とでといっぱいでしたが、夜の8時を超えると寝てしまうような毎日でした(笑)。ですから、先生達の気持ちが痛いほどよくわかります。今は縁の下でそっと先生達を支えたいと思っています。
今の時代、小さな子ども達でさえスマホのゲームや一人でも楽しむことのできる手段が多々ある世の中になりました。だからこそ幼児期の今、幼稚園ではどんなあそびが必要なのか、どんな環境が子ども達にとって必要なのか。このような時代だからこそ、そんな部分にとことんこだわり追求していきたいと思っています。
全ての教育は、子ども達の健やかな成長の願いのもとに。
私たちも、決まっていることをこなすだけの教育ではなく、子ども達自らがより意欲的に、より能動的に成長し心が豊かになるよう願いを込め、「あそび」という名の「学び」を深めていけたら…と思っています。
園長 伊勢 千春
新しい年の始まりに
新年あけましておめでとうございます。
皆さんは新しい年をどのように迎えられたでしょうか。
私はというと、年末は普段のつけが回ってきてしまい、キッチンの大掃除にヘトヘトになりました。毎年毎年思うのですが、なぜコツコツできないのか、汚れが気になった時にその部分だけでもやっておけば大変にならないのにといつも悔やまれます。今年もそんな自分に苛立ちを感じながらのキッチン大掃除でしたが、良い点もありました。今はインターネットが普及しているため、手間がかからない掃除法の様々な知恵や工夫の情報がたくさんでています。その情報の中からできそうなものを取り入れたおかげで、例年、かなりの時間と労力を使い、苦しめられているキッチン換気扇の掃除が、今年は相当楽に済みました。その一点だけでテンションアップ!単純だとわかっているものの、小さな喜びが私にとっての大きな喜びにつながりました(笑)。
年明けはというと、両家に出向いて顔出しをしてきましたが、皆と一緒に集まれるのはやはりいいものですね。マスク会食になったものの、食卓を囲み、皆の元気な姿も見ることができて安心しました。私の実家は両方仙台にあり、しかも私の住まいと同じ泉区内。どちらの実家も行こうと思えばすぐに行ける距離にありますが、昨年もコロナがまだ落ち着いていなかったり仕事が忙しかったりでなかなか思うように顔も出せず、県外に実家があるようなそんな状況と何も変わらないような一年でしたので、皆と会えて嬉しかったです。
そしてお正月中に元朝参りにも行ってきました。
おみくじは『吉』
書いてある内容は「うんうん、そうだよね」と、思い当たる内容がかかれておりました。『周りの意見を聞き、周りの助けで物事がうまくまわっていく』というような内容でした。それはいつだって大事なこと。しかし忙しさに振り回されていると、周りへの思いやりにかけたり周りへ耳を傾けたりする余裕がなくなってしまうでしょう。今年も忙しい一年になることは間違いないとわかっているので、そのようなことを心にとめ、意識をし、何事にも取り組んでいきたいと思いました。自分自身もここを大事にしなければならないだろうなと思っていたところに、そのような内容のおみくじだったので、気を付けていきたい部分が明確になり、腹が決まったというかスッと心に落ちたというか、とにかく晴れやかな気分でした。
そんな傍ら、隣では家族が「大吉だ!!」と大喜び。「よかったね」といったものの、「去年も大吉で2年続けて大吉だ!」と喜びをあまりにも爆発させるものですから、「よかったね~。けど、最後は自分だからね。おみくじの大吉パワーがなくても、私は自分の今年の羅針盤は導き出されたから、それをもとに自力で大吉の年にするわ」と大人げない対応(笑)。
『周りの助けで物事がうまくいく』と言っているのに、そんな皮肉を口にした自分の言動がすでに『家族』という周りからの助けの妨げになっているかもしれません。そんなささいな小さなことを皮肉るような対応で本当にお恥ずかしいですが、これが現実(笑)。まだまだ未熟者というわけです。
いつまでも、何歳になっても精進せねばなりませんね。人としてもっと成長したいですし日々進化し続けたいと思っています。そんなことを気づかせてくれた家族に感謝!新年早々、自分のダメなところに気づけて良かった!こういうところを意識していかなければならないんだなと、自分でも呆れるくらい、超前向きな思考回路が全開のお正月でした(笑)。
そして新年早々、ずっと計画を練ってきていた大きな仕事が入っておりましたが、家族内に、はやり病が出てしまい、私の行動も控えねばならない状況になってしまいました。チームで動いていた仕事で、私が取り仕切っておりましたが、私の役割分担部分も含め、他園の園長先生方に全面お願いすることになってしまいました。
申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、ふと気づけば、おみくじの内容通りではないかと!周りの助けがあって人は成り立っているのだと、早々に実感していることに驚きです。そして深い感謝の気持ちでいっぱいのスタートとなりました。感謝の気持ちは思っているだけでなく、自分ができることでしっかり周りへ返していこうと胸に刻み、それが私の今年の目標となりました。考えてみれば当たり前のことなのですが、意識して…いや、意識せずともそういう行動が自分自身の物となるよう今年一年過ごしていきたいと思います。
今年はうさぎ年。
めるへんの子ども達と先生達がウサギのように元気よく飛び跳ねられるような一年になるよう願い、心新たに頑張ります。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
園長 伊勢 千春