園長先生のつぶやき

心に思うこと、その時感じたことをそのまま綴る、園長の徒然日記です。

2016年02月10日

二ヵ月に一度、年6回行なっている誕生会。

その月のお誕生児のおうちの方にいらしていただき一緒にお祝いをしていますが、恐縮ながら前半は私の講話、後半は各クラスや学年ごとの時間にあてさせていただいております。そして、今年度最後のお誕生会が昨日行なわれました。

講話の部分では、今年度は 『お母さん』 をテーマに自分の習得してきた引き出しの中から題材を引っ張ってきてお話させていただきました。

平成元年の園だよりに当時の園長が載せていた記事、それが 『日本一のお母さんとは』 というタイトルのものでした。当時とある婦人雑誌社でこのテーマで毎年小学生を対象にした作文を募集すると、どんな母親がよいお母さんか五つの柱ができるというもの。その五つの柱がこちらです。

1、働き者のお母さん

(掃除洗濯ごはん作り、一日中イキイキ働いている)

2、子どもとの濃厚なスキンシップを実現しているお母さん

(短時間でも子どもの情緒の安定に大きい意味を持つ・量より質)

3、ユーモアやこっけいさのあるお母さん

(童心のあるユーモラスなお母さんが家庭を明るくしている)

4、お母さんなりに社会に役立つことをしたいと願っているお母さん

(献血・ちょっとした奉仕活動に子どもが感動)

5、型破りな母ちゃん 

(画一化され、身動きのとれない母親ではない創造性豊かなお母さん)

この内容をまだ二十歳そこそこの時、目にした純粋な感想は「こんなお母さんのいる家庭で育った子どもはきっと幸せだろうなー」ということでした。

その中でも、例えば人を傷つけるような言動や社会のマナーに反すること、命の危険につながるようなことは理由がどうであろうとダメなものはダメだと伝えることはもちろん必要で、でも、「しつけ」という言葉に縛られすぎて細かいことまで口うるさく言いすぎると、「しつけ」を丁寧語にもじって「お・しつけ」になるぞと言われたものでした。

この内容を読んだ時、ふと、お母さんではなくても、こんな≪先生≫がいたらきっとクラスも明るく、楽しく、子ども達も幸せに幼稚園生活を送れるのではないだろうか…と思いました。お母さんと先生とでは役割が違うのは、もちろんわかっていましたが、そんなクラスを目指すために、自分がなりたい≪先生像≫をまずは実現化していこう…という希望を持った新任時代でした。

 

しかし、こんな子どもの理想のお母さんとはかけ離れてしまう時、皆さんはありませんか?私は…もちろんあります。

例えば、子どもの叱り方。

小学校六年生の会話から…こんな叱られ方は嫌だ…というものをピックアップしました。

「いきなり頭ごなしにガンと叱らないでほしい」 「同じ失敗を何度かしてしまった時は叱られても納得」 「お父さん、お母さん二人から一緒に叱られると悲しい」 「必要なことだけ言えばいいのに、去年の事まで持ち出してくどくどお説教されると頭にくる」「一方的にいわないで、子どもの言い分も聞いてほしい」 「良いことをしようと思ってやったのに、失敗してしまった時叱られるとすごく悲しい」

耳の痛い言葉です。まさに大人の欠点ズバリです。ちゃんと見もしないで頭ごなしにガンと叱ってしまったり、「あの時もこうだったよね?!」と前のことまで持ち出して、叱っている最中に「あれ?結局何のことで叱ってた?」なんてことがあったり…。私も失敗だらけです。昨年、決定的な失敗をしたことは誕生会でお話しましたが、次回しくじった内容をまとめます……。

 

そして私が以前読んだ教育雑誌にこんなことが書いてありました。

子どもに何か伝える時。

A「この牛乳飲まないと大きくなれないよ」  B「この牛乳飲むと大きくなれるよ」

A「早く寝ないと朝早く起きられないよ」    B「早く寝ると朝気持ちよく起きられるよ」

牛乳を飲んでほしい、早く寝かせたい、どちらも伝えたいことは同じなのに、AとBとでは受ける印象が全く違うように思います。どうしても、≪おどし≫に聞こえてしまうような否定的な言い方をしてしまいがちですが、肯定的な言い方でだって伝えたい内容は同じです。だったらどちらが子どもの立場ならいいだろうか…ということです。これは血液型ではないからA型だった人がB型に変わることができると書いてありました。ではどうやって・・・?それはただ一つ。本人の心がけ次第です…と記されていました。

 

いろいろな意味で物騒な世の中、決まり事や制限の多い世の中、子どもでも習い事や塾などで大人なみに忙しい世の中。こんな世の中だからこそ、子ども達をキュウキュウの中で息苦しく育てたくない…と私は思っています。そのためには私達子どもを取り巻く大人が、おおらかな目や心で子ども達に関わっていくことが大事なのではないでしょうか。そのことを意識するのとしないのとでは全く違うと思います。少しでも意識し、子ども達への小言を五つ言ううち、一つでも二つでも減らせたらいいなーくらいの、子どもにだけでなく、自分へもおおらかな気持ちで見ていけるといいのではないでしょうか。

 

冒頭に挙げた 『日本一のお母さん』 の記事が平成元年のもの。ということは、この記事の中の子ども達が望む理想の母親像は昭和時代のもの・・・。しかし、時代は流れても、時は進んでも、いつの時代も子どもたちの望む母親像は変わらない気がしてなりません。

 

園長    伊勢 千春

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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