園長室から

平成と私

令和元年 5月7日

大型連休も明け、新しい元号になりました。

昭和から平成に元号が変わった時とは状況が違い、この連休中はテレビをつければ新しい元号へのお祝いムード一色でした。テレビなどでも平成を振り返る番組がたくさんみられ、ひとつの時代が終わり、新しい時代の幕開けという色が濃く出ていたという印象でした。

一時代が終わったのだなーと感じると共に、自分自身の平成という時代はどんなだっただろうかとふと思いました。

私は平成3年4月にめるへんの森幼稚園に入りました。当時は幼稚園の先生一枠の募集にでも、10名~20名程度の応募があるのが当たり前の時代でした。幼児教育に関する筆記試験から始まり、ピアノの試験ではその場で楽譜を提示され初見で演奏するというスタイルの試験もありました。現在は社会全般においても人手不足、保育士不足という言葉をよく耳にしますが、それと同様、幼稚園においても教諭不足が深刻です。募集一枠に対して1名くるかどうか…だから軽い面接だけで採用している保育園や幼稚園も多いようです。しかし、幼稚園という場所は幼児教育を行うところであって教育の質を損なわないようにするためには採用試験は重要で、いまだにそこは譲れない部分になっています。

平成3年から勤め始めたわけですから、30年近く、めるへんにいることになります。(※注意※ 歳は数えないで下さい!(笑)) そう考えると、ひとことで言って私の平成はめるへんと共に歩んできたということになります。その間に結婚をし母親になり…という大きな変化もあったわけですが、その部分においてもめるへんと共に歩んできたという印象です。現在高校3年生の娘を出産した時はまだ育児制度が整っておらず、出産後2ヶ月で復帰し、当時は大変でした。できるところまで続けて自分で無理だと思ったら離れようという思いで復帰したのですが、まさか今の自分など全く想像にもないことでした。現在は育休制度が整い、仕事を続けやすくなったものの、やはり幼子を育てながら幼稚園教諭を続けることはまだまだ大変だと先生達をみていて思います。

上記でもあげたように、私の平成という時代はめるへんなしでは語れませんし、めるへんに育てられた時代だったと思っています。

子ども達からも育てられ、保護者からも育てられ、園長先生や先輩先生、全てを含む周りの人達からの学びなくして今の自分はありません。

子ども達ひとりひとりの個性に出合い、声のかけ方ひとつをとっても100人いれば100通りの声のかけ方があることを知りました。面白いことや興味のあることには飛びつくし、つまらないことには背を向け飽きてくる。それが子どもの素直な表現であって、いかに魅力のある活動を取り入れていくか、いかに興味の惹かれる集まりにするか、担任時代は特にそんなことばかり考えていました。ですから、子どもの目線を中心に考え内容の吟味や活動の吟味をしていかねばならないことを子ども達から学んだと思います。知識としてどんなにたくさん幼児教育の勉強をしても、一般的な正しい知識を身につけてもそれが全く活かされないこともあり、子どもひとりひとりと向き合うには多様な受け止め方が必要であり、時にマニュアルから外れるようなそんな考え方も持ち合わせていなければ子どもとの本当の向き合い方はできないのだということも知りました。

保護者の方からの学びも多く、子どもへ対する思いや考え方をはじめ、時には社会人として、組織人として学ぶことも多々ありました。我が子に対する愛情のかけ方も皆同じではないし、子育てに対する考え方や子どもの守り方、家庭の中にある大まかなルールもそれぞれだということを肌で感じてきました。だからこそ、私達の立場での寄り添い方も多種多様でなければならない。そんなことをずいぶん学んできたなーと実感しています。

そして就職して最初に出会った初代園長富田先生。子どもとの向き合い方、保護者への向き合い方、そして幼児教育のあるべき姿、それはもう語りつくせぬほどたくさんのことを教わりました。幼稚園教諭としての学びはもちろん、親としての学びや仕事人としての学びなど、様々な角度から 『人』 としての大事なことを学びました。

このように、私にとって平成という時代は、幼児期を深く学び子どもをはじめ人との関わりを深く学んだ時代となりました。この学びに終わりはありませんから、新しい令和の時代でもより深く掘り下げていけたらと思っています。

 

自分自身が子どもとしてとことんあそんだ昭和。

自分自身が子ども達にとことん向き合ってきた平成。

そして令和では、新しい時代の主役になる子ども達が健やかに豊かに幸せに育つための広い視野を持ち、自分に今できることを考え、実践していきたいと思っています。

 園長   伊勢 千春

 

 


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