園長先生のつぶやき

心に思うこと、その時感じたことをそのまま綴る、園長の徒然日記です。

2024年05月13日

GWも過ぎ、平常保育が始まりました。

新入の新しい子ども達も幼稚園の雰囲気やリズムにだいぶ慣れてきたようです。これからあそびの幅も広がりますし、体をたくさん使って遊ぶことも増えてきます。少しずつ気温も上がってくる時期になると疲れもたまりやすくなってきますので、なるべく大人時間に合わせず、早めの就寝を心がけていけると良いかと思います。

さて、毎年この時期、新入の子ども達を見ていると嫌なことされたと泣いている子や自分の思いと違う方向に物事が進んでしまい泣いている子を見かけます。

先日も帰りのお迎えを待つ時間に、年少M君が隣に座っていた年少R君のリュックについているキーホルダーを見たかったようで何も言わずに手に取って見ていたら、R君が「さわらないで!」と怒り出しました。すると今度はR君の肩に「チュッチュ」と口を近づけM君がスキンシップをとると、またまたR君が「だからやめて!!」と泣きそうになりながら訴えていました。そこで私が中に入りM君に話を聞いてみると、「キーホルダーを見たかった」「なかよししたかった」ということでした。

ちょうど職員室でそんな話をしていたら、N先生も同じような光景を見たと。

これも年少さんの話ですが、「お友だちを引っ張ったらだめだよー」と年長さん達が懸命に年少H君に教えている様子。確かにN先生からみても滑り台でお友だちの手を引っ張ているように見えたようでした。そこで先生が「H君、なんでお友だちのこと引っ張ってたのかな?」と聞くと「引っ張ってたんじゃないよ。お友だちが滑り台滑れないでいたから助けてあげようと思っただけだよ。」とH君が話しをしてくれたそうでした。

幼稚園の中ではよくある話で、どちらの例も全く特別なことではありません。特に年少の子ども達は、習得している語彙がまだ少ないことや人との距離感や空気感を含めコミュニケーションの取り方などを学ぶ入り口に立ったばかりの年齢のため、このようなことが起こるのです。何も声をかけられないで自分の持ち物を触られたり、シャベルを取りに行っている間に自分が使っていたバケツを持っていかれてビックリして泣き出す子がいたり。それがきっかけとなって小さなトラブルに発展することもよくある光景です。どれも決して意地悪なことではないのですがちょっとした誤解や言葉が足りずに起こる事だったりします。

している方は全く悪気はないのですが、声をかけていなかったり、やってあげよう、助けてあげようという気持ちが前面に出てしまい、相手にとっては少し強引な印象を受けたりすることもよくあることです。そうなると、受ける側は「いじわるされた」という認識になってしまうのでしょう。小さい組の子が一生懸命自分で靴を履こうとしている時に年長さんがお世話をしてあげようという親切心で手伝ったことが「自分でやりたかった」という思いから、大泣きしてしまい、お手伝いしてくれた年長さんが困惑する…という光景も時々目にします。

大きくなるにつれどちら側の気持ちも少しずつ理解していけるようになるのだと思いますが、そういう相手の気持ちなどを学ぶのも集団生活の中での大事な学びなのでしょう。

ですからこういう出来事は、子どもが嫌な思いをしてかわいそうだから…などという大人の感情で失くしていくとかできるだけ起こらないようにしていく…ものではなく、実体験からの学びとして経験しながら体得していくものだと思っています。だとすれば、時には親切心が残念な気持ちに代わることもあれば、意地悪されたわけではなかったけれども嫌な気持ちを味わうことだってあるはずです。しかしお互いがこんな気持ちだったということを、経験を通して学び、そうだったのかと相手の気持ちにも触れる経験をしていく中で、少しずつ相手の気持ちが理解できるようになるのだと思います。

ですから、現場では常にそんな子ども同士の関わりを見た時には、「見せてほしいものがある時には突然触るんじゃなく、「これ見せて」と一声かけてからにするといいよ」と伝えたり「この時はこんな声をかけていたら、意地悪で引っ張っていたんじゃないとお友だちに伝わるよ」とコミュニケーションをとった子にも話していきます。そして受けた側の子達にも「M君はね、R君のカバンについているキーホルダーが見たかっただけだったんだって。だからとろうとしたり意地悪でキーホルダー引っ張ってたわけじゃなかったんだって。でも突然触られちゃったからR君もビックリしたんだね」とどちらの気持ちも受け止めて代弁するようにしています。そしてその後「キーホルダー見せて」「いいよ」という本人たちの言葉のキャッチボールまで見届けるようにしています。決して悪いことをしたわけではないけれど、言葉足らずが引き起こしてしまった誤解などがある場合は「ごめんね」も子どもから子どもへ伝えさせるようにしており、このような地道な関わりを大事にしています。

お互いの言い分は必ずあります。片方だけの話を聞いて一方のみ注意するということはケガにつながるような場合を除き、ほとんどしていません。ケンカやトラブルの際の鉄則だと思っています。特に年齢が低ければ低いほど、言葉の獲得もまだ未熟ですしコミュニケーションの取り方も学んでいないため、自分の「こうしたい」という思いが先行するのが当然のことです。集団生活に入る前までは大人の世界で過ごしてきているわけですから、人との関わりの面で言えば特に大きな問題にであわず比較的心地よく生活ができて当たり前です。しかし集団生活が始まれば、同じ年齢の子ども達がたくさんいてその中で自分の思うようにならないことにであったり我慢することを覚えたりしていくわけです。それがこれから先、子ども達が生きていく上で習得していかねばならないことでもあるでしょう。どう問題を解決していくかという術も今後子ども達自身が身につけていかなければならないことで、子ども達の世界にはこうした学びの実践の場が必要不可欠なのです。

そんな時は、大人が過剰に反応するのではなく、ひとつの点から少し広げた範囲で物事を見ていくと良いかもしれませんね。今はまだ隣のお友だちが「名前も知らない子」かもしれませんが、少しずつ顔を覚え名前を覚え仲良しになっていけばこのような小さな誤解から生まれるトラブルも減っていくものです。

 

 

園長   伊勢 千春

 

 

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