園長室から

娘の誕生日から想うこと

先月、娘が17歳の誕生日を迎えました。

誕生日といえば、幼稚園でも誕生会を二ヵ月に一回開催し、対象児のおうちのかたにいらしていただき、大きくなったことをみんなで喜び合い祝っています。

誕生日はお母さんのおなかから生まれた日。おなかにいるときから大事に大事にされてこの世に命が誕生した日。ひとつ歳が増えて、できることもたくさん増えてくるということを誕生会ではクラス毎確認し合っています。そして、みんなは一人で大きくなっているのではなく、家族をはじめ、周りの人達のおかげで大きくなっている。だから、誕生日は周りの人にも感謝する日なんだよ、ということを伝えています。

それは我が家の子育てにおいても同じで、娘には小さな時から伝えておりました。

ちょっとさびしい気もしますが、もう高校生の娘には娘の世界があり、17歳の誕生日当日は友だちにお祝いしてもらうとかで夕飯も外で済ませてきたようでした。

親にとってみればいくつになっても子どもですが、このように年齢が進むにつれて親とは少し離れた世界ができていき、それは当然のことでしょう。子どもの成長に寄り添っていく中で、いろいろな面において様々な感情がこちら側にも芽生えてきます。それは少しの寂しさだったり、ここまで無事大きくなってきたという安堵だったり。それと同時に成長していく我が子に、時に驚いたり嬉しくなったりと様々です。少しずつ親の人格とは違う一人の独立した『人』としても確立されていくので、私自身とも意見や考えの相違などでぶつかることもあります。子どもは心身ともどんどん変化していくので複雑な想いもなくはないですが、誕生日の度にやはり成長への嬉しさがこみ上げてきて、子どもが小さかった頃のことが思い出されます。

私は娘を保育園に預けて仕事を続けていましたが、2歳になったばかりの頃に担任の先生から「Iちゃんはそろそろおむつがとれそうなので、明日からトレパンを持たせて下さい。」と言われて驚いたことがありました。まだ2歳になったばかりで家では全くそんな気配はなく、トレパンの準備を一切していませんでした。しかし、先生から話を聞くと、保育園ではトイレに喜んで行っている、自分で尿意を感じてトイレに行けばだいたい成功している…とのことでした。そしてその日の夜、慌ててトレパンを買いに行ったのを今でも覚えています。私にとっては急な出来事のように思えましたが、こうして幼稚園で子ども達を見て、先生達の関わり方を見ていれば、このようなことは急なことではないのがよくわかります。成長に結びつく姿になるには毎日繰り返される丁寧な声掛けや寄り添い、そしてある程度の大人側の根気なども必要で、何度もの失敗も寛容に受け止めるおおらかさが日々積み重なり、子の成長につながっているのです。ですから、ここに至るまでには保育園の先生方の援助があったからなのだろうなーと思い、今でも感謝をしています。何気なくできているように見えることの背景には、こうした大人の小さな少しの支えや導きがあるのです。ですから、普段子ども達をみていると、入園したての頃と比べて今ではこんなことができるようになったんだ…とか、こんなに笑顔であそべるようになったのだなーなどと微笑ましく感じることが多々ありますが、日々の積み重ねがあってこその成長だということを実感しています。

 

そして私自身、娘が大きくなった今ではなかなかできないことを、幼少期にもっともっと意識して行なっていればよかったなーと思うことも時々あります。

例えば子どもと手をつなぐ。

いつのころからか手をつないで歩くこともなくなり、娘が小学校の高学年くらいの時に久しぶりに手をつないできたその時の手の大きさにビックリしたのを覚えています。まるで大人と手をつないでいるようなそんな感覚で、すごく驚いたのを覚えています。いつのまにこんな手の大きさになっていたんだろうと、驚きと戸惑いと確実に大きくなっているのだという嬉しさと、何とも言えない感情でした。そんなことがあって、あの頃つないでいたちっちゃな手の感覚にはもう出あえないのだなーなんて思っていたら、もっと手をつないでいればよかったなーとか、もっとだっこやスキンシップをしておけばよかったなーと思うことがあります。娘が小さい頃、布団に入って寝る前に、絵本の時間をとってトントンと添い寝をしたいと思っていたのですが、娘には夜になり布団に入って絵本を見たらもう電気を消して寝る時間というマイルールが、物心がついた幼いころからあったようです。ですから、絵本を読み終えるともうバイバイ…私が隣にいるのを拒む…という具合でした(苦笑)。当時、周りにそのことを話すと、「自分の時間ができるからうらやましい」とか「アメリカンスタイルだね」とか「うちなんか寝付くまでかなり時間がかかるから逆にきついよ~」などと言われたものでした。なるほどそうかと思う一面もありましたが、私にしてみたら疲れているから今日はもう一緒に寝てしまいたいという日があってもできず(笑)、今日はゆっくり寄り添いたいと思っても振られてしまい、思い描いていた子育てのようにはなかなかいかないものでした。子どもを寝せるのにかなり時間を費やしているママの話もよく聞きますから、本当になかなかうまい具合にいかないものですね(笑)。

そんなふうに、子育ては自分の理想通りになんて決してならないし、親の思うように上手くばかりいくわけがないですよね。あんなふうになったらいいなー、こんなふうにならないかなーという淡い期待はあっても、現実はそんな簡単ではないのです。子ども自身もだんだん成長するにつれ、もっとお母さんがこんなだったらいいのに…とか、なんでお母さんはいつもこうなの?!という子ども側だって親に対して想いや望みを持つはずです。残念ですがお互い様と言ったところもあるのでしょうね…。

幼少期はまだ親の言うことや考えが大きく占めていても、子どもの成長と共に少しずつその部分も変化していくのでしょう。だから子どもの成長を願うだけではなく、親自身もその変化に対応できるような柔軟な考えや、子どもを親から切り離し、一人の人間として認め受け入れていく準備を少しずつ始めなければならないのだということを、ここ最近特に感じています。子どもはどんどん成長し変化しているわけですから、私自身もそれに合わて考え方や受け止め方を変化させる努力をしなければならないのだと思っています。

 

誕生日の朝、「おはよう。お誕生日おめでとう」と言ったら、娘がひとこと「ママ、生んでくれてありがとう」と。17歳になってはじめて発した言葉がこれでした。感無量で言葉は出なかったものの、両手をいっぱいに広げ「おいで~」と嬉しさを表現しましたが、「あ。それはいいや。時間ないし。」とあっけなく断られ撃沈(笑)。まあ、女子高生…こんなもんです(笑)。

しかし、娘のこのひとことで、今までの子育ての振り返りや時々わき起こる子育てに対する迷いも一気に吹き飛びました。

中学生頃から、勉強や友だちを含む学校の事で時々娘の話に耳を傾けていましたが、ああ我が子は、勉強や部活、将来のことや友だち関係、本人なりにいろいろなことに悩み迷いながらも、生まれてきたことに感謝ができているのだと思ったら、このひとことは私にとって最高のプレゼントになりました。

子どもの年齢が上がれば子育ての悩みも変容し、常に悩みは尽きずとも、これからもまあ、あまり肩に力をいれずにやっていこう…そんなふうに思った一日でした。

 

園長     伊勢 千春

 

 


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