園長室から

「子ども哲学」とは

11月10日の河北新聞で 【 『子ども哲学』家庭でも 】 という見出しの記事がありました。サブタイトルには『対話を通し思考力磨く』とあり、『子ども哲学』なんてあまり馴染みのない言葉だったので何だろう?と思い、読み進めていきました。

記事によれば、大学入試改革で記述式問題が導入されるなど、教育における思考力重視の傾向が高まっており、子ども自身が「問い」を発し、意見を出し合いながら考えを深めていく対話活動のことを『子ども哲学』と呼び、注目を集めているとのことでした。この子ども哲学は、思考力や探究力を養うのに役立つと考えられているそうです。

当園でも、子ども自らが様々な事柄に気づき、「どうしてだろう」「なんでだろう」という疑問を持ったり、不思議に思ったりしていく中で、「こうだからかな?」と自分で想像したり、試したりしていけるような環境をつくる努力をしています。そのためには、大人が正解への道筋や答えをすぐに子ども達に伝えないことを心がけています。個々が自分で想像を膨らませたり予測を立てたりしながら考える時間を大切にするとともに、周りの友だちと一緒に、ああでもない、こうでもない、こうだからかな?いや、ああだからかな?など、それぞれ違う意見や考え、視点があることを楽しんでもらえるような環境を大切にした保育に努めています。

この記事の中にも、きょうだいや友だちを交えれば、異なる意見が出て対話が深まると書いてありました。

結論を出す必要はないこと、そして注意すべきことは子ども扱いをせず話を十分に聞くことだと言います。子どもも大人も対等な立場だということが重要で、子どもは発想が柔軟で意外な点に着目するので、対話を通して違う考えを持つ人がいることを知れば、相手への敬意も生まれるとありました。対話とはそれを通じてお互いが変化することを前提にしているため、対等だからこそ大人も学ぶことができるとありました。そして「教えてやろう」ではなく「教わる」姿勢を大切にし、子どもから学び自分を変えることができるか、大人自身も問われている…ということでした。これは立教大文学部教育学科教授の河野哲也先生の話を新聞から抜粋したものですが、子どもとの対話時の大人の姿勢にハッとさせられました。子どもに比べれば、もちろん大人は知識も豊富で考え方も自分なりの方向性が定まっています。ですから正しい道に子どもを誘導してしまうような「教える」「正す」というスタンスだけで子どもと接したり対話したりしてはいないかと、改めて自分を見直す機会にもなりました。子どもの年齢や物事の内容によっては、大人が道標にならねばならないことももちろんありますが、きっと大人が子どもから教わることだってたくさんあるはずです。

そういえば少し前に、中学生の職場体験で市内の中学生の受け入れを当園でも行ないました。配属されたクラスの子ども達と、隣の森に出かけたある男子中学生のその日の日誌の中に、【キノコに詳しい男の子がいて、キノコのことをいろいろ教えてもらって楽しかった】…というような内容が書かれてありました。4~5歳の幼児から中学生がキノコについていろいろ教えてもらい楽しかったと素直に感じ、それを日誌に表現していたのです。

そんなふうに、年齢や大人子ども関係なくお互いに知っていることを教え合ったり、想像したことや考えたことを伝えあったりできたなら、知らないことを知ることができたり、今までは興味・関心が向いていなかったことに目が向くようになったり、さらには自分の思いや考えとはまた違った発見もでき、自分の思考も広がっていくのではないでしょうか。このような姿勢は、他者や違う意見を受け入れることにもつながり、人とのコミュニケーションの取り方も柔軟になるのではないかと思いました。

私たち大人も、子どもとの対話の中から…いいえ、子どもだけでなく様々な人との対話の中から 『教わる姿勢』 を大切にしていきませんか?

きっと自分の視点とは違うものの見方が生まれ、思考も広がり、教わる楽しさを味わえるかもしれませんね。

 

 

園長    伊勢 千春


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